Crystal Chandeliers and Burgundy / Johnny Cash 訳詞・和訳

Crystal Chandeliers and Burgundy1
ジョニー・キャッシュの1974年のナンバー、Crystal Chandeliers and Burgundyを和訳つきでご紹介します。


“もしこの世に 俺のやるべきことが何ひとつないなら
鉄のレールに乗り続けるだけの人生ならば”



Crystal Chandeliers and Burgundy
クリスタル・シャンデリアズ・アンド・バーガンディー



この貨物列車が俺のねぐら サン・アントニオからずっと
飛び乗ったときに足首をくじいちまって
その痛みが俺にきらびやかな夢を見せる
目に浮かぶのは クリスタルのシャンデリアと赤ワイン

車輪の音が おふくろの胸の鼓動のようだ
それは二度と戻らない息子が刻むリズム
気ままに流れていく先は神のみぞ知る
目に浮かぶのは クリスタルのシャンデリアと赤ワイン

あの車掌がわかってくれさえすれば
俺がこれまで味わった苦労のすべてを
この列車に再び乗るためだけに


自由なホーボー生活はそんなに悪いもんじゃない
ありあまる富を夢に描くことだってできる
でも 貨物列車の暮らしはこたえるだろうな
目に浮かぶのは クリスタルのシャンデリアと赤ワイン

あの車掌がわかってくれさえすれば
俺がこれまで味わった苦労のすべてを
この列車に再び乗るためだけに


もしこの世に 俺のやるべきことが何ひとつないなら
鉄のレールに乗り続けるだけの人生ならば
そのときは この目に浮かぶ幻を消し去ってくれ
クリスタルのシャンデリアと赤ワイン
クリスタルのシャンデリアと赤ワイン



Crystal Chandeliers and Burgundyは、ジョニー・キャッシュが1974年に発表したアルバム「The Junkie and the Juicehead Minus Me」に収録されています。


きらびやかな都会への憧れに取りつかれ、故郷を捨てて、ホーボー(無賃乗車で移動する流れ者の労働者)生活を選んだ主人公。でも、希望に満ちあふれて晴れやかというわけではなさそうです。

くじいた足の痛み、車輪の響きに重ねる母への思い、いつまで続くかわからない流浪の暮らしへの不安。ジョニー・キャッシュの歌声にも、どこか懐かしさ漂うメロディにも、静かな諦めと疲れがにじんでいるように感じられます。

クリスタルのシャンデリアと赤ワインのイメージも、セピア色にかすんだ昔の夢のようですね。むしろ、そんな極端なものしか思い浮かべられない主人公の、贅沢や文化的なものとはかけ離れた田舎での生活がしのばれます。

おそらくこの道を進んでいっても、クリスタルのシャンデリアと赤ワインの夢に辿り着くことはないだろうと、彼は自分でも思っているんじゃないでしょうか。それでも、明日をも知れぬ流れ者の暮らしに身を投じるほど、彼にとって故郷は生きづらい場所であったのだろうと思います。


Crystal Chandeliers and Burgundy2
私はこの曲を、夢に向かっての旅立ちというよりは、しがらみの多い故郷から逃げ出す歌として聴いています。やむにやまれぬ思いで、ふるさとや家族のもとを離れた経験のある人には、身につまされるところがあるかもしれません。ちなみに、生まれ育った場所からの逃亡をもっとはっきりと歌っているのが、以前ご紹介したI Never Picked Cottonでした。

この郷愁を誘うホーボーソングの作詞・作曲は、シンガーソングライターのジャック・ウェスレイ・ラウス。彼はこのアルバムが発売された1974年に、カントリーミュージシャンのカーリーン・カーターと結婚しています。

カーリーンはジョニー・キャッシュの愛妻ジューン・カーターと前夫との間の娘です。つまりラウスは、ジョニー・キャッシュの義理の娘の夫、義理の息子にあたるわけですね。カーリーンとラウスは3年ほどで離婚しているので、元義理の息子というべきでしょうか。

Sunday Mornin' Comin' Downの記事でも触れましたが、ジョニー・キャッシュの実父は若い頃、この歌に出てくるようなホーボー生活を送っていた時期があったそうです。兄の死をめぐって相克のあった父親ですが、ジョニーの歌声は、若き日の父の姿に思いを馳せるような優しさと共感に満ちています。


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思い出のグリーングラス聞き比べ!Tom Jones, Elvis Presley, Johnny Cash

グリーンの芝生と樫の木
Green, Green Grass of Home(思い出のグリーングラス)を、トム・ジョーンズエルヴィス・プレスリージョニー・キャッシュの3人のバーションで聞き比べるお楽しみ企画です! 曲紹介と訳詞は、前回更新のGreen, Green Grass of Homeからご覧ください。


“圧倒的なリアリティーのトム
出だしでネタばれのエルヴィス
殺しても死なない貫禄のジョニー”





「思い出のグリーングラス」は多くのミュージシャンにカバーされていますが、中でもこのトム・ジョーンズのバージョンが認知度・人気ともにダントツでしょう。トム・ジョーンズはイギリス南ウェールズ出身の実力派ボーカリストです。ソウルフルでパンチの効いた歌声と、男の色気むんむんのルックスから、私はてっきりラテン系の御仁だと思い込んでいました。

トム・ジョーンズがGreen, Green Grass of Homeをレコーディングしたのは1966年。彼が26歳のときです。

つややかな歌声に若さと情熱があふれていて、ゆったりした曲調の中にも、未熟な青年の感情の激しさを感じさせます。「若気の至りでやらかしてしまった」感がヒシヒシと伝わってくるんですね。きっと衝動的な犯罪だったんだろうな、もしかしたら自分がしでかしたことの意味もわかってないのかもしれない、そんな気持ちにさせられます。

そもそも極刑を科せられるような罪を犯して、実家の庭のお気に入りの場所に埋葬されたいとか、親不孝の極みじゃないですか。それで、ママとパパと恋人に優しく迎えてほしいだの、とんでもない自己中ですよ。恥や反省の意識はどこ行ったんだって話です。

でも、このトム・ジョーンズのパーンと張りのある歌声を聴いていると、自然に納得できるんですよね。その視野の狭さ、いきすぎた純粋さや甘えみたいなものが、若さゆえの愚かさなんだなと。そして、この青々とした芝生のような若い命がもうすぐ失われてしまうことに、やり切れなさと哀れみの気持ちがわいてきます。まさに歌の主人公と歌い手が一体となったかのようなリアリティー。

トム・ジョーンズはtとkの子音の発音が強くて、good to touchのあたりなんか、ほとんど舌打ちのように聞こえます。それがエネルギッシュでパワフルな印象を強めているように感じます。ザ・ヴォイスという異名を取るだけあって、希有な歌声、素晴らしい歌唱力です。

私個人の評価も、「思い出のグリーングラス」はこのトム・ジョーンズ版がNO.1。文句なしです。


次にご紹介するのはエルヴィス・プレスリーのバージョンです。

1975年、エルヴィス・プレスリー40歳のときのレコーディングです。このエルヴィス版のGreen, Green Grass of Homeは、彼の最後のスタジオ録音アルバム「Today」に収録されています。

静かなギターのイントロからの歌い出し。懐かしいふるさとの風景を描きながら、後悔と惜別の情にあふれた歌声が泣いています。一聴して、これはただごとではない、単なる思い出話ではないということが伝わってきます。

末期の目に、ひときわ美しく輝いて見える故郷の景色と愛する人たち。それをそっと胸に抱いて、やさしく慈しむようなぬくもりのある歌声。ほんとにもう、エルヴィスの表現力って異次元ですね。彼の頬をつたい落ちる滂沱の涙が目に見えるようです。

エルヴィス・プレスリーの歌声には、温泉に浸かっているような癒やし効果があります。Carrotは昔、どーんと落ち込んで、エルヴィスばっかり聞いてた時期がありました。やわらかい毛布にくるまって、お母さんの子守歌を聴いているような気持ちになるんですよね。

それはさておき、問題なのは、出だしでネタバレしちゃってることです。歌い出した途端に、これはただの思い出話じゃないと悟らせてしまうのは、曲の仕掛け的には失敗なのでは?

しかも、こんな優しく温かく慈愛に満ちた雰囲気の人が死刑囚ですよ。虫一匹殺せないような感じですけど、そんな人が一体どんな罪を犯したっていうんでしょうか。正当防衛だったのよね? いや、ほんとは冤罪なんでしょ? 誰をかばってんの? 正直に言って! まだ間に合うかもしれないんだから! と、襟首つかんで揺さぶりたくなってしまいます。

死にゆく人の郷愁を表現したものとしては、エルヴィス・プレスリーのバージョンは抜きんでています。彼はこの頃すでに、過食症や睡眠薬の乱用によるさまざまな体調不良で、迫りくる死の影を見つめていたのでしょう。一方、死刑囚としてのリアリティーでいうと、やはりトム・ジョーンズ版が勝ります。言ってしまえば、エルヴィス版は悪人らしさに欠けるんですね。そこが好きだとおっしゃる方も多いでしょうが、曲にフィットしているか否かという意味で、エルヴィスのバージョンは次点とさせていただきます。


それでは、最後にジョニー・キャッシュ御大のGreen, Green Grass of Homeです。

刑務所での慰問コンサートをライフワークのように大切にしていたジョニー・キャッシュ。このバージョンはカリフォルニア州のフォルサム刑務所における慰問ライブを収録した「Johnny Cash at Folsom Prison」におさめられています。レコーディングは1968年、当時ジョニー・キャッシュは36歳でした。

なんでしょうか、この悟りをひらいたかのような恬淡とした歌声。その中ににじみ出る、受刑者たちへの深い共感と愛情、そして虚無感。何も聞かなくても、きっと大層なことをなさったんでしょうね、と頷いてしまいそうです。極刑ですか、そりゃウン十人も殺めてしまわれては、それもやむなしかと、みたいな。

フフフ、俺も馬鹿なまねをしたもんだ、つまんねえ人生だったな、とか肩をすくめながら、何だか妙に余裕のあるジョニーさん。翌朝、刑執行のために迎えにきた看守と神父さんが見たものは、すっからかんの独房だった! そこには手下たちが突貫工事で掘り進めた脱獄用のトンネルがぽっかりと口を開けて……

なんて妄想をふくらませてしまうのは、ジョニー兄貴の歌声に、静かで凄みのあるモノホンの悪の香りが漂うから。数々の刑務所ギャングを生み出したフォルサムプリズンの札付き受刑者たちも、固唾をのんで聴き入り、大喝采を送っています。刑務所食堂での慰問ライブで、演奏的にも録音環境的にも制約があるのが、逆に生々しい臨場感となって伝わってきます。

リアルな悪人っぽさという意味では、このジョニー・キャッシュ版は抜群です。でもこの人、ほんとに生きて故郷に帰りそうな、淡々としたふてぶてしさがあるんですよね。いや、個人の偏った感想なんですけども。その点で、どうしても哀れさや悲しさが減じられてしまいます。よって第3位。愛ゆえの辛口評価ということで、ごめんね、ジョニー。

「思い出のグリーングラス」Green, Green Grass of Homeは、このビッグスリーの他にも、ジョーン・バエズケニー・ロジャース森山良子尾崎紀世彦など、多くのシンガーがカバーしています。それぞれ聞き比べてみると、色んな発見があって楽しいかもしれません。


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Green Green Grass Of Home(想い出のグリーングラス) 訳詞・和訳

露に濡れたグリーンの芝生
Green Green Grass Of Home(想い出のグリーングラス)を和訳とともにご紹介します。音楽の授業などでもおなじみのこの曲。実は英語の原曲の歌詞は驚きのストーリー展開なんです。


“そして俺は思い知らされた
夢を見ていただけなんだと”



Green Green Grass Of Home
グリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム



昔なじみのふるさとは何も変わらない
電車を降りたら見えてくる
そこには出迎えてくれる母さんと父さん
道の向こうに見えるのは 駆けてくるメアリーの姿
金色に輝く髪に さくらんぼのような唇
なんて気持ちがいいんだろう
我が家の青々とした芝生に触れるのは

そう みんなが会いに来てくれる
両手をさしのべて 優しく微笑みながら
なんて気持ちがいいんだろう
我が家の青々とした芝生に触れるのは


古びた家は今もしっかりと建っている
ペンキはひび割れ 乾いてしまったけど
そしてそこにはあの年老いた樫の木がある
よく登って遊んでいたもんだ
下の小道を愛しいメアリーと歩いた
金色に輝く髪に さくらんぼのような唇
なんて気持ちがいいんだろう
我が家の青々とした芝生に触れるのは

そう みんなが会いに来てくれる
両手をさしのべて 優しく微笑みながら
なんて気持ちがいいんだろう
我が家の青々とした芝生に触れるのは


そのとき目が覚めて あたりを見回した
灰色のコンクリートの壁に取り囲まれている
そして俺は思い知らされた 夢を見ていただけなんだと
そこには看守と 悲しげな顔つきの年老いた神父がいて
夜明けが来れば 彼らに腕を組まれて歩かされるだろう
俺はまた 我が家の青々とした芝生に触れるんだ

そう みんなが会いにきてくれる
あの年老いた樫の木のかげで
俺の体を横たえながら
我が家の青々とした芝生の下に


鉄格子と刑務所の独房
「思い出のグリーングラス」Green Green Grass Of Homeは、テネシー州ナッシュビルを中心にソングライターとして活動していたカーリー・プットマンによって作詞・作曲されました。1965年のジョニー・ダレルによるレコーディングを皮切りに、トム・ジョーンズ、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュ、エルヴィス・プレスリー、ジョーン・バエズなど、名だたるミュージシャンにカバーされてきた名曲中の名曲です。


すでにご存じの方も多かったでしょうが、これは刑の執行を翌朝にひかえた死刑囚を描いた歌なんですね。まばゆいほど美しい故郷の風景と、優しくあたたかく迎えてくれる家族と恋人。それは死刑囚が人生の終わりに冷たい独房の中で見た、ひとときの夢でした。前回更新のI Never Picked Cottonと状況的に重なるところがあったので、この曲をピックアップしてみました。

森山良子氏の日本語バージョンは、元歌の夢の部分だけをすくい取った形で、実にのどかでしたよね。都会の暮らしに疲れたOLが田舎の実家に帰って、遠距離恋愛の彼氏に会ってリフレッシュ!みたいな。

しかしこの曲のキモは、日本語版では切り捨てられたラストにあります。監獄で過ごす最後の夜が暗いほど、主人公の後悔と絶望が深いほど、懐かしい故郷とそこに暮らす人々の笑顔がまぶしく輝いて感じられるんですよね。そこを抜きにして夢の中身だけを歌ったら、ふるさとや大切な人たちへの気持ちも、切実さのないボンヤリしたものになってしまいます。まあ、原曲の内容はシビアすぎるので、淡く優しい故郷への想いだけを表現したいという気持ちもわからなくはないですが。


いつも和訳とともに掲載しているYouTubeの動画は、次回更新でご紹介します。当ブログのメインコンテンツであるジョニー・キャッシュのバージョンと、最も良く知られているトム・ジョーンズ版、そしてエルヴィス・プレスリー。この3人のビッグスターによる「思い出のグリーングラス」聞き比べをしてみたいと思います。


ちなみに、この曲でうたわれている樫(oak=カシ)の木はこんな枝振りです。
古い樫の木と青々とした芝生
ドラマーの方には、オーク材のドラムスティックはおなじみですよね。樫は木偏に堅いと書くことからもわかるように、木質が非常に緻密で折れにくい木です。また、低い位置からよく枝分かれするので、まさに木登りにうってつけ。そして水平に長く張り出す枝は、夏の陽ざしをさえぎる心地よい木陰をつくります。

この曲の主人公の願いが叶えられたかどうかはわかりません。たぶん叶えられなかったんじゃないでしょうか。ただ、彼の魂はあの古い樫の木陰に、青々としげる草の下に帰ってきたのではないかと思います。


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I Never Picked Cotton / Johnny Cash 訳詞・和訳

綿畑に昇る朝日
Johnny Cashの1996年のアルバムUnchainedに収録された、I Never Picked Cotton(綿なんか摘まない)をご紹介します。


“田舎もんが俺のシャツをつかんで言った
「綿摘み袋の中に帰りやがれ」”



I Never Picked Cotton
アイ・ネバー・ピックト・コットン



俺は綿なんか摘んだことはねえ
でも おふくろは摘んでた
兄貴も摘んでた
姉貴も摘んでた
おやじは若くして死んだ
炭鉱で働いてたんだとよ


まだガキだったころ
綿摘み袋を引っぱるには小さすぎて
俺は泥遊びをしていた
ほかの家族は働いていた
背中をまっすぐ伸ばせなくなるまでな
それで俺は自分に誓った
ここから逃げられるほど大きくなったら
ただの一日たりともいやしねえ
こんなオクラホマのお天道さんの下になんて

俺は綿なんか摘んでなかった
でも おふくろは摘んでた
兄貴も摘んでた
姉貴も摘んでた
おやじは若くして死んだ
炭鉱で働いてたんだとよ


おまえは育ちが早いとみんなに言われた
それで 綿農場に捕まらないうちにと
10ドルと小型トラックを盗んで
俺は二度と戻らなかった
スピードカーとウイスキー
脚の長い女の子たちに大騒ぎ
金で何でも自分のものになった
俺は一丁の銃ですべてを手に入れた

俺は綿なんか摘んだことはねえ
おふくろは摘んでた
兄貴も摘んでた
姉貴も摘んでた
おやじは若くして死んだ
炭鉱で働いてたんだとよ


土曜の夜 メンフィスで
田舎もんが俺のシャツをつかんで言った
「綿摘み袋の中に帰りやがれ」
俺は奴の死体を泥の中に置き去りにした
明け方には看守どもがやってきて
すぐ外の絞首台に俺を連れていくだろう
それまでの間に
何も大成功をおさめたってわけじゃねえが
俺が誇りをもって振り返られることといったら

俺は綿だけは摘んだことがねえ
おふくろは摘んでた
兄貴も摘んでた
姉貴も摘んでた
おやじは若くして死んだ
炭鉱で働いてたんだとよ

俺は綿なんか摘んでねえ
おふくろは摘んでた
兄貴も摘んでた
姉貴も摘んでた
おやじは若くして死んだ
炭鉱で働いてたんだとよ



I Never Picked Cottonは、ボビー・ジョージとチャールズ・ウイリアムズによって作詞・作曲され、1970年にカントリー歌手のロイ・クラークのレコーディングによって有名になりました。ジョニー・キャッシュはこの曲を、1996年にリリースしたアルバム「Unchained」の中でカバーしています。

私はこの曲を、例によってネットラジオのジョニー・キャッシュ・チャンネルで初めて知りました。俺は綿なんか摘んでねえ、摘んでねえったら摘んでねえ、と呪文のように繰り返す部分だけが聞き取れて、何でそこまでこだわるのかと歌詞を調べて、なるほどと納得した次第です。


この主人公の生き様はとうてい擁護できるものではありません。でも、家族みなが幼いころから重労働を強制され、体を壊して死んでいく閉塞的な環境にあって、「こんなところで生きたくない」と脱出を決意した心情は察するに余りあります。その後の自己破壊的な振る舞いを見るに、家族を見捨てて逃げた時点で、彼の精神は半分死んでいたのかもしれません。

主人公は最終的に、redneck=首筋が赤く日焼けした低所得の白人労働者に、「綿入れ袋の中に帰れ」とののしられ、衝動的に殺人を犯して死刑囚となります。出自を馬鹿にされた瞬間の憤怒には、家族を捨てた自責の念や後ろめたさも含まれていたんじゃないでしょうか。それが無意識であったとしても。



1970年のロイ・クラーク版は、バンジョーやタンバリン、ブルースハープの音色が明るくのどかな彩りを添えていて、陰りがありません。ロイ・クラークの歌い方も歯切れがよく、どこかコミカルでさえあります。


ところが一方のジョニー・キャッシュ版は、何ともいえない不穏な切迫感に充ち満ちています。

平の途中で転調したかのように半音上げたり、サビでは細かく揺さぶるように変更されるコード進行に胸がざわつきます。また、曲が進むにつれて、少しずつテンポが速くなっていきます。追い立てられるようなリズムに、一瞬にして人生を駆け抜けた主人公の姿が重なるんですね。これらがジョニー・キャッシュの挑戦的な歌い方と相まって、オクラホマの太陽にじりじりと焼かれるような焦燥感を抱かせる、素晴らしいカバーだと思います。

サビのバックコーラスがどこかで聞いたことがある声だなと思ったら、ロックミュージシャンのトム・ペティでした。このアルバム「Unchaned」のバックバンドは、トム・ペティ&ハートブレイカーズだったんですね。「Unchaned」には、他にもレッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシストのフリーや、フリートウッド・マックのリンジー・バッキンガムとミック・フリートウッド等も参加しています。


アメリカ、オクラホマ州の綿花摘み取りの写真をWikipediaで見つけました。1890年代の撮影です。
オクラホマ州の綿花収穫の風景
1865年に南北戦争が終わった後も、解放された黒人奴隷と、土地を持たない白人農民たちは、白人地主の綿花プランテーションで働き続けました。農夫たちが肩にかけて地面に引きずっているのが、この曲でうたわれたcotton sack、綿摘み袋(綿花袋)です。キャンバス地でできていて、30kgほどの綿花を詰め込めるそうです。

Wikipediaによると、ジョニー・キャッシュの両親は、アーカンソー州で綿花栽培の小作農家として生計を立てていたようです。ジョニー・キャッシュも5歳ごろから、仲の良かった兄ジャックと一緒に、綿畑で農作業の手伝いをしていました。ジョニー自身は「綿を摘んだことがある」んですね。

ジョニーと3歳違いの兄は、牧師になりたいという希望を持っており、頭が良かったそうです。ところが15歳のとき、ジャックは紡績工場の裁断機に巻き込まれ、体を真っ二つにされかけるほどの重傷を負ってしまいます。彼はその1週間後に亡くなりました。このときジョニーは12歳でした。

兄を失って衝撃を受けたジョニー。彼をさらに深く傷つけたのは、父親の「悪魔は連れていく子を間違えた」という発言でした。これは、お前が死ねば良かったと言われたのと同じです。兄の死と父の冷酷な言葉はジョニーの心に濃い影を落としました。

ジョニー・キャッシュはその後、兄と一緒に聴いていたカントリーミュージックに傾倒していき、18歳で空軍入隊とともに家を出ます。奴隷的な労働を拒否し、アウトローに身を落として生き急いだ、I Never Picked Cottonの主人公。彼の姿は、ひとつボタンを掛け違えればそうなっていた、もう一人のジョニー・キャッシュなのかもしれません。


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Tennessee Flat Top Box / Johnny Cash 訳詞・和訳

アコースティックギターを弾く少年
ジョニー・キャッシュTennessee Flat Top Boxを和訳つきでご紹介します。この曲は彼の娘ロザンヌ・キャッシュのバージョンでも広く知られています。


“彼はギターさえあれば いつもハッピーでいられた”


Tennessee Flat Top Box
テネシー・フラット・トップ・ボックス



とある小さなキャバレー
南テキサスの国境の町に
ギターを持った少年がいて
あちこちから人々が集まってきた
オースティンへやってきた女の子たちは皆
家をこっそり抜け出し
アクセサリーを質に入れた
旅費を稼ぐため 聴きに行くために
テネシー・フラットトップ・ボックスを弾く
小柄な黒髪の少年のために

彼のギターはこんな調子だった


彼は乗馬も家畜の世話もできない
金を稼ぐことにもまったく興味がない
でも彼のギターさえあれば
いつもハッピーでいられた
それは9歳から90歳までの女の子たちも同じ
指を鳴らし つま先でリズムをとり
「やめないで」と彼にせがんだ
催眠術にかけられ 心を奪われた
テネシー・フラットトップ・ボックスを弾く
小柄な黒髪の少年に

彼のギターはこんな調子だった


ある日 彼はいなくなった
近所で見かけた者はいなかった
そよ風のように消え失せて
小さな町の人々は彼を忘れた
でも女の子たちは皆 彼を夢に見つづけて
あのキャバレーにたむろしていた
閉店になるまでずっと
そしてある日 テレビの「ヒットパレード」に登場したのは
テネシー・フラットトップ・ボックスを弾く
小柄な黒髪の少年だった

彼のギターはこんな調子だった



Tennessee Flat Top Boxジョニー・キャッシュの作詞・作曲によるナンバーで、1961年にシングルリリースされました。全米シングルチャートのカントリー部門で11位と、そこそこのヒットになったこの曲。

ジョニー・キャッシュの淡々と余裕のある歌声で、キャバレーのギター弾きをしていた少年のサクセスストーリーが語られます。ある日ふっつり消えてしまった少年が、テレビの人気歌番組のゲストとして、皆の前に再び登場するラストにワクワクしてしまいます。

リズムギターのカッティングに、スネアドラムのブラシが重なって、チャカポコ、チャカポコと面白い響きになっていますよね。“And he would play”(彼はこんなふうに演奏した)という歌詞の後に、リードギターの印象的なフレーズが続くという展開も洒落ています。

それにしても、Tennessee Flat Top Boxって何だろうと気になりませんか? 英語版Wikipediaによると、これはスチール弦のアコースティックギターのことなんだそうです。flat topには「楽器の平らな表板」という意味があるので、ドブロとかじゃなく、ごく普通のアコースティックギターなんでしょうね。ジョニー・キャッシュ以外にこの言葉を使っている人がいないので、彼の造語だと思われます。


この曲は、ジョニー・キャッシュの娘であるロザンヌ・キャッシュによって、1987年にカバーされました。


ロザンヌ・キャッシュは、前妻ヴィヴィアン・リベルトとの間にもうけた四姉妹の長女です。ジョニー・キャッシュから音楽の才能を受け継いだ彼女は、父と同じミュージシャンの道を選びました。カントリーやポップスのヒット曲をいくつも持ち、1985年には女性カントリーボーカル部門でグラミー賞も受賞している実力派です。力強くて艶のある、いい声ですね。リズムが単調なのがちょっと物足りない気もしますが。

ロザンヌ版のTennessee Flat Top Boxは、全米カントリーチャートで、父のオリジナルバージョンの最高位(11位)を抜いて1位に輝きました。ロザンヌはレコーディング当時、この曲の作者が自分の父親だと知らず、とっくに著作権が消滅した昔の曲だと思っていたそうです。ほんまかいな。

そんな娘のカバーバージョンの大ヒットに、ジョニー・キャッシュは「人生の中で最高に満足したことの一つだ」と語ったそうです。ロザンヌたち前妻さんの四姉妹とは、ジューン・カーターとの再婚で色々と葛藤もあったでしょうからね。父親の死に際し、ロザンヌはテレビの追悼番組でこの曲を演奏しました。Tennessee Flat Top Boxは、ジョニーとロザンヌ父娘の絆を象徴するナンバーでもあります。


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プロフィール

Carrot

Author:Carrot
ジョニー・キャッシュを愛する洋楽ファン。自己流の訳詩、好きな音楽の話、日常の出来事を気ままに綴ります。
★当ブログに掲載している訳詞は、個人的な楽しみのための引用であり、商用利用や配布を目的としたものではありません。また、歌詞の和訳には誤訳・誤字が存在する場合があります。営利目的の転載および複製はご遠慮ください。個人的な楽しみの範囲であれば、ご自由に利用くださって構いません。その際は当ブログへのリンク及び引用元の表記をお願いいたします★

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