2017/08/09
One Piece at A Time / Johnny Cash 訳詞・和訳

ジョニー・キャッシュの訳詞・和訳、第1弾は One Piece at A Timeです 。
“何年型かだって? こいつは49~70年型のキャデラックさ”
One Piece at A Time
ワン・ピース・アット・ア・タイム
さて 俺は1949年にケンタッキーを離れ
デトロイトの製造工場へ働きに出た
1年目 俺の仕事はキャデラックのホイールの組み付けだった
俺は毎日 イカした車が製造ラインを流れていくのを眺めたもんだ
そして時々 頭を垂れて涙にくれた
あの長くて黒い車を俺のものにできたらと思い続けて
ある日 俺は計画を思いついた
それは誰もがうらやむような妙案だ
弁当箱の中にあいつを入れて こっそり持ち出せばいい
まあ 見つかりゃクビだが
定年までには目的達成できるだろうと算段をつけた
俺は少なく見積もっても10万ドルの車をモノにするんだ
(Chorus)
一度に一かけらずつ手に入れる
10セントの金もかからない
おまえの町にもひょっこり現れるかも
流行りのスタイルで乗り回して
みんなを熱狂させてやる
なんせ この界隈じゃたった一台の車だからな
次の日さっそく俺は出勤した
でっかい弁当箱を持って 仲間も協力してくれた
その日は弁当箱にギアをぎっしり詰めて家に帰った
自分のことを盗っ人だなんて考えたことはないが
ゼネラルモーターズは絶対に見逃しちゃくれねえだろうな
特に何年にもわたって こんなことを続けてたら
1日目は燃料ポンプ
次の日はエンジンとトランク
それからトランスミッションとメッキ塗装した部品
でかい弁当いっぱいに詰め込んだ小さなパーツは
ナットやボルト、タイヤ4つ分のショックアブソーバーなんかで
大物は仲間のキャンピングカーに隠して運び出した
そうだな これまでのところ計画は順調だった
ある夜 俺たちが揃えた部品を組み立てようとするまでは
そして何かが決定的に間違ってることに気づいたんだ
トランスミッションは53年物で
モーターは73年物ときた
ボルトを締めようとしても ホールが全然合ってない
俺たちはボルトホールを合わせようと ドリルで穴をあけた
アダプターキットの助けをほんの少し借りたら
エンジンが歌うように回転し始めた
さあ お次の問題はヘッドライトだ
左に2つ 右に一つついている
スイッチを入れたら なんと3つとも点灯しやがった
後ろ部分の見てくれもメチャクチャだが
俺たちはパーツを全部使って一つにまとめあげた
テールフィンが片側しかないことに気づいた瞬間
女房が急にその場から歩き出した
彼女の目には疑いの色が見えた
だが 彼女は車のドアを開けて言った
「あなた、ひとっ走りしましょうよ」
そして俺たちは街にドライブに行き 違反切符を切られまくった
大通りに向かって車を走らせると
街中のみんなが大笑いしてるのが聞こえた
だけど裁判所のやつらは誰も笑ってなかった
職員総出で訴状をタイピングしていたからな
やつらが完成させた訴状の重さは30kg近くもあったぜ
(Chorus)
一度に一かけらずつ手に入れる
10セントの金もかからない
おまえの町にもひょっこり現れるかも
流行りのスタイルで乗り回して
みんなを熱狂させてやる
なんせ この界隈じゃたった一台の車なんだ
(CB無線によるトラック運転手との会話)
やあ レッドライダー
こちらはコットンマウス
サイコビリー・キャデラックに乗ってるぜ どうぞ!
了解 レッドライダー こちらコットンマウス
この芝刈り機みてえな車がいくらだったかは教えられねえな
おまえさんは俺が車屋へ行って
こいつをその場で選んだと言いたいんだろうが
そんなケチくさいもんじゃねえ
何だって? 何年型かだって?
そうだな、こいつは49年、50年、51年、52年、
53年、54年、55年、56年、57年、58年、59年型の車さ
そして60年、61年、62年、63年、64年、65年、
66年、67年、68年、69年、70年型の車なんだ
One Piece at A Timeは、1976年にレコーディングされ、全米シングルチャートのカントリー部門で1位に輝いた大ヒット曲です。「Honky Tonk Wine」等で有名なウェイン・ケンプというシンガーソングライターが、ジョニー・キャッシュのために作詞・作曲しています。
ジョニー・キャッシュの曲には、軽快なメロディに乗せて面白おかしいストーリーを語っていくギター漫談のようなナンバーがいくつもありますが、これもその一つです。
一度に一かけらずつ部品を盗み出して、長年かけて憧れのキャデラックを一台組み立てようとした主人公。年式によって部品が違うことを計算に入れておらず、できあがった車はヘッドライトが3つにテールフィンが1つ、芝刈り機のような見た目のモンスターカーになってしまったという顛末でした。
定年までにという算段どおり、この車、完成するのに20年以上かかったんですね。
エンディングの年式の羅列で、いつも噴き出してしまいます。
Wikipediaによると、この通称「'49–'70型キャデラック」は、テネシー州ナッシュビルで自動車解体・中古パーツショップを経営するブルース・フィッツパトリック氏によって実際に作られたそうです。その怪物じみた外観は、Wikipediaの写真や上記のyoutube動画でご堪能ください。黒いシャツで運転席にいるのがジョニー・キャッシュ、オーバーオール姿で立っているのが車を製作したフィッツパトリック氏です。
One Piece at A Timeの発売当時、フィッツパトリック氏のショップには、曲中に出てくるすべてのモデルのキャデラックの在庫がありました。プロモーターから注文を受けた彼が、ジョニー・キャッシュに「'49–'70型キャデラック」を納車したのは、1976年4月のことでした。このユニークな車は、テネシー州ヘンダーソンビルのジョニー・キャッシュ邸の外にずっと展示してあったそうです。
ジョニー・キャッシュの死とともにミュージアム化されていた自宅は、ほどなく閉鎖の憂き目に遭います。フィッツパトリック氏は「'49–'70型キャデラック」を30km離れたナッシュビルまでレッカーして帰り、自分のショップで廃車にしました。受注、製造、納車、メンテナンス、廃車時の引き取りから処分まで、こんなトータルサービスの車屋さんって聞いたことがありません。解体業が本職とはいえ、この車をスクラップするときには様々な思いが胸をよぎったでしょうね。

