One Piece at A Time / Johnny Cash 訳詞・和訳

車にタイヤを組み付ける作業員
ジョニー・キャッシュの訳詞・和訳、第1弾は One Piece at A Timeです 。


“何年型かだって? こいつは49~70年型のキャデラックさ”


One Piece at A Time
ワン・ピース・アット・ア・タイム


さて 俺は1949年にケンタッキーを離れ
デトロイトの製造工場へ働きに出た
1年目 俺の仕事はキャデラックのホイールの組み付けだった
俺は毎日 イカした車が製造ラインを流れていくのを眺めたもんだ
そして時々 頭を垂れて涙にくれた
あの長くて黒い車を俺のものにできたらと思い続けて

ある日 俺は計画を思いついた
それは誰もがうらやむような妙案だ
弁当箱の中にあいつを入れて こっそり持ち出せばいい
まあ 見つかりゃクビだが
定年までには目的達成できるだろうと算段をつけた
俺は少なく見積もっても10万ドルの車をモノにするんだ

(Chorus)
一度に一かけらずつ手に入れる
10セントの金もかからない
おまえの町にもひょっこり現れるかも
流行りのスタイルで乗り回して
みんなを熱狂させてやる
なんせ この界隈じゃたった一台の車だからな


次の日さっそく俺は出勤した
でっかい弁当箱を持って 仲間も協力してくれた
その日は弁当箱にギアをぎっしり詰めて家に帰った
自分のことを盗っ人だなんて考えたことはないが
ゼネラルモーターズは絶対に見逃しちゃくれねえだろうな
特に何年にもわたって こんなことを続けてたら

1日目は燃料ポンプ
次の日はエンジンとトランク
それからトランスミッションとメッキ塗装した部品
でかい弁当いっぱいに詰め込んだ小さなパーツは
ナットやボルト、タイヤ4つ分のショックアブソーバーなんかで
大物は仲間のキャンピングカーに隠して運び出した


そうだな これまでのところ計画は順調だった
ある夜 俺たちが揃えた部品を組み立てようとするまでは
そして何かが決定的に間違ってることに気づいたんだ
トランスミッションは53年物で
モーターは73年物ときた
ボルトを締めようとしても ホールが全然合ってない

俺たちはボルトホールを合わせようと ドリルで穴をあけた
アダプターキットの助けをほんの少し借りたら
エンジンが歌うように回転し始めた
さあ お次の問題はヘッドライトだ
左に2つ 右に一つついている
スイッチを入れたら なんと3つとも点灯しやがった


後ろ部分の見てくれもメチャクチャだが
俺たちはパーツを全部使って一つにまとめあげた
テールフィンが片側しかないことに気づいた瞬間
女房が急にその場から歩き出した
彼女の目には疑いの色が見えた
だが 彼女は車のドアを開けて言った
「あなた、ひとっ走りしましょうよ」

そして俺たちは街にドライブに行き 違反切符を切られまくった
大通りに向かって車を走らせると
街中のみんなが大笑いしてるのが聞こえた
だけど裁判所のやつらは誰も笑ってなかった
職員総出で訴状をタイピングしていたからな
やつらが完成させた訴状の重さは30kg近くもあったぜ

(Chorus)
一度に一かけらずつ手に入れる
10セントの金もかからない
おまえの町にもひょっこり現れるかも
流行りのスタイルで乗り回して
みんなを熱狂させてやる
なんせ この界隈じゃたった一台の車なんだ

(CB無線によるトラック運転手との会話)
やあ レッドライダー
こちらはコットンマウス
サイコビリー・キャデラックに乗ってるぜ どうぞ!

了解 レッドライダー こちらコットンマウス
この芝刈り機みてえな車がいくらだったかは教えられねえな
おまえさんは俺が車屋へ行って
こいつをその場で選んだと言いたいんだろうが
そんなケチくさいもんじゃねえ
何だって? 何年型かだって?

そうだな、こいつは49年、50年、51年、52年、
53年、54年、55年、56年、57年、58年、59年型の車さ
そして60年、61年、62年、63年、64年、65年、
66年、67年、68年、69年、70年型の車なんだ



One Piece at A Timeは、1976年にレコーディングされ、全米シングルチャートのカントリー部門で1位に輝いた大ヒット曲です。「Honky Tonk Wine」等で有名なウェイン・ケンプというシンガーソングライターが、ジョニー・キャッシュのために作詞・作曲しています。

ジョニー・キャッシュの曲には、軽快なメロディに乗せて面白おかしいストーリーを語っていくギター漫談のようなナンバーがいくつもありますが、これもその一つです。

一度に一かけらずつ部品を盗み出して、長年かけて憧れのキャデラックを一台組み立てようとした主人公。年式によって部品が違うことを計算に入れておらず、できあがった車はヘッドライトが3つにテールフィンが1つ、芝刈り機のような見た目のモンスターカーになってしまったという顛末でした。

定年までにという算段どおり、この車、完成するのに20年以上かかったんですね。
エンディングの年式の羅列で、いつも噴き出してしまいます。

Wikipediaによると、この通称「'49–'70型キャデラック」は、テネシー州ナッシュビルで自動車解体・中古パーツショップを経営するブルース・フィッツパトリック氏によって実際に作られたそうです。その怪物じみた外観は、Wikipediaの写真や上記のyoutube動画でご堪能ください。黒いシャツで運転席にいるのがジョニー・キャッシュ、オーバーオール姿で立っているのが車を製作したフィッツパトリック氏です。

One Piece at A Timeの発売当時、フィッツパトリック氏のショップには、曲中に出てくるすべてのモデルのキャデラックの在庫がありました。プロモーターから注文を受けた彼が、ジョニー・キャッシュに「'49–'70型キャデラック」を納車したのは、1976年4月のことでした。このユニークな車は、テネシー州ヘンダーソンビルのジョニー・キャッシュ邸の外にずっと展示してあったそうです。

ジョニー・キャッシュの死とともにミュージアム化されていた自宅は、ほどなく閉鎖の憂き目に遭います。フィッツパトリック氏は「'49–'70型キャデラック」を30km離れたナッシュビルまでレッカーして帰り、自分のショップで廃車にしました。受注、製造、納車、メンテナンス、廃車時の引き取りから処分まで、こんなトータルサービスの車屋さんって聞いたことがありません。解体業が本職とはいえ、この車をスクラップするときには様々な思いが胸をよぎったでしょうね。


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I Drove Her Out of My Mind / Johnny Cash 訳詞・和訳

キャデラックと美女
Johnny Cashの訳詞・和訳シリーズ第2弾、 I Drove Her Out of My Mindです。


“ねえ、このキャデラックで飛ぶつもり?”


I Drove Her Out of My Mind
アイ・ドローヴ・ハー・アウト・オブ・マイ・マインド


彼女は俺に三行半をつきつけて 新しい男と逃げやがった
俺の稼ぎじゃ とうてい買えないものをプレゼントしてもらったんだとさ
それから俺は 気分を上げる薬や落ち着かせる薬
あらゆるものに頼ってみたが
いまだに彼女とのイイ思い出が頭から離れない

そこで俺は今日 彼女がずっと欲しがってたキャデラックを買った
彼女に電話して 乗ってみたくねえかって聞いたんだ
これが最後のデートよって言うから わかってるぜと答えた
今夜 俺の頭の中から彼女を追い出すために

(Chorus)
ドライブに連れ出したら ルックアウトマウンテンまでひとっ走り
俺の女だった頃は どこにも連れてかないと文句を言ってたからな
彼女は7つの州を一望できるはず
俺たちが天国の門までドライブする間に
今夜 やっと俺の頭の中から彼女を追い出せるんだ


新聞はこぞって書き立てるだろう
「また恋人たちがルックアウトマウンテンから身投げした」と
これは心中だっていう走り書きを残してきたからな
だが 俺の墓にはこう刻まれるはずだ
「彼は昨日みずからの苦痛にとどめを刺し
ついにあの女を頭の中から追い出した」と

さあ 彼女が愛想を振りまきながらやってきたぜ
男殺しのドレスだな まあ俺も女殺しなわけだが
願わくば彼女に聞いてほしいもんだ
「ねえ、このキャデラックで飛ぶつもり?」と
そしたら 俺は笑いながら死ねるだろう
「そのとおり」って答えながら
まさにその瞬間 俺の頭の中から彼女を追い出せるんだ

(Chorus)
ドライブに連れ出したら ルックアウトマウンテンまでひとっ走り
俺の女だった頃は どこにも連れてかないと文句を言ってたからな
彼女は7つの州を一望できるはず
俺たちが天国の門までドライブする間に
今夜 やっと俺の頭の中から彼女を追い出せるんだ


噂になるだろう ジョニー・キャッシュは木っ端みじんになったと
チャタヌーガのこの場所で
昨夜 ついに奴は頭の中から彼女を追い出したと

あのキャデラックのディーラーもびっくり仰天だろうぜ
頭金99ドルで 月額99ドルのローン
ハハハ まったく傑作な話だ

天国の門に向かって
天国の門に向かって
天国の門に向かって…



ジョニー・キャッシュの曲の中では、かなりマイナーと思われるこの作品。彼の没後11年目、2014年に発売された未発表音源集のOut Among the Starsに収められています。1980年代前半のレコーディングセッションをもとに、2013年にレコーディングされました。作詞・作曲は、Gary Lee GentryとHillman Hallです。

私がジョニー・キャッシュの歌詞に興味を持ったきっかけが、このナンバーでした。

ネットラジオから流れてきた明るく爽快感あふれるメロディに、「この曲、いいじゃん」とノリノリで拍子を取っていたCarrot。英語がよくわからないので、Cadillac(キャデラック)とか聞こえるから、楽しいドライブの曲なんだろうと勝手に思っていました。

ところが曲が進むにつれて耳に入ってくる、suicide(自殺)、kill(殺す)、pain(苦痛)等々、むちゃくちゃ殺伐とした単語の数々。極めつけがエンディングの脳天気な女性コーラスです。pearly gatesって、天国の門じゃなかった!?

いったい何を歌ってるのかと歌詞を検索して、その内容にあっけにとられると同時に爆笑しました。皆さんも当時の私のようにびっくり仰天しましたか? そして、一途すぎた男の夢見るハッピーエンドに一抹の切なさを感じていただけたでしょうか。

訳していて一番おかしかったのが、“Dressed to kill and so am I” のくだりです。「Dressed To Kill」(殺しのドレス)というブライアン・デ・パルマ監督の映画がありますが、これは異性の気を引くための露出度の高い悩殺ファッションのことですね。それに対して、“so am I”(俺もだよ)と答えるジョニー・キャッシュのバリトンボイス。やめて!あんたのkillは比喩じゃなくてマジだから!と突っ込まざるを得ません。

ちなみに、この無理心中男がドライブの目的地にしているルックアウトマウンテンの崖は、こんなところです。
ごつごつとした岩肌がむき出しの断崖絶壁から、ビアジョッキのような形の巨大な岩の塊がせり出している。その下方から遙か遠くを見渡すように、緑の山並みや町並みが広がっている
ルックアウトマウンテンは、テネシー州のチャタヌーガにあり、7つの州(テネシー、ケンタッキー、バージニア、サウスカロライナ、ノースカリフォルニア、ジョージア、アラバマ)を見渡せる絶景の観光ポイント。この一帯はネイティブアメリカンの居住地で、チャタヌーガという地名は、チェロキー族の言葉で「岩が迫り来る場所」という意味だそうです。

上の画像の断崖絶壁は、チェロキー族の心中伝説が残る、ラバーズ・リープという崖です。主人公の言動から見るに、現代においても身投げの名所になっているみたいですね。

こっぴどくふった相手がピカピカの新車でドライブに誘ってきたら、「じゃあ最後に一回だけ」とか言ってないで、全力で逃げましょう。でなけりゃ、ここから天国の門めがけて飛ぶことになります。

それにしても、頭金99ドルしか支払ってもらっていないキャデラックのディーラーさん。新聞を見て真っ青になってる顔が目に浮かびます。気の毒すぎる。


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Sunday Mornin' Comin' Down / Johnny Cash 訳詞・和訳

色あせた都会の歩道
訳詞・和訳シリーズ第3弾、ジョニー・キャッシュSunday Mornin' Comin' Down です。


“日曜の中にある何かが 人を孤独にさせるんだ”


Sunday Mornin' Comin' Down
サンデー・モーニング・カミング・ダウン


目が覚めたら日曜の朝だった
どんな姿勢をとっても頭が痛む
朝食がわりに飲んだビールは悪くなかった
だからデザートにもう一本飲んだ
それからタンスを引っかき回して
汚れたシャツの中で一番ましなのを見つけた
顔を洗い 髪をとかして
よろめきながら階段を降りる一日の始まり

ゆうべ俺の頭の中は
タバコの煙とお気に入りの歌でいっぱいだった
きょう一本目に火をつけたら 子どもが目に入った
缶けりをして遊んでいる
通りを歩いて横切ろうとしたとき
日曜の匂いが漂ってきた 誰かがチキンを揚げている
神様 その香りが思い出させるんだ 俺が失った何かを
今までのどこかで どういうわけか なくしてしまったものを

(Chorus)
日曜の朝の歩道にいると
神様 俺はマリファナでもやっていれば良かったと思う
日曜の中にある何かが 人を孤独にさせるんだ
今まさに死んでいくような気分
死ぬときだって寂しさは半分ぐらいだろう
眠たげな街の歩道から聞こえる物音に比べたら
そして 日曜の朝に沈んでいく


公園でひとりの父親を見かけた
彼がブランコを押してやって 小さな女の子が笑っていた
教会の日曜学校のそばで足を止めて
彼らのうたう賛美歌を聞いた
それから俺は通りを歩いていった
どこか遠くで 寂しげな音色の鐘が鳴っている
それはビルの谷間に響き渡る
まるで薄れゆく昨日の夢のように

(Chorus)
日曜の朝の歩道にいると
神様 俺はマリファナでもやっていれば良かったと思う
日曜の中にある何かが 人を孤独にさせるんだ
今まさに死んでいくような気分
死ぬときだって寂しさは半分ぐらいだろう
眠たげな街の歩道から聞こえる物音に比べたら
そして 日曜の朝に沈んでいく



私がこの曲を初めて聴いたのは、子どもの頃、刑事コロンボシリーズの「白鳥の歌」の中でした。ジョニー・キャッシュがカントリー歌手の殺人犯を演じた、このテレビ映画については、また別記事でご紹介したいと思います。

Sunday Mornin' Comin' Downは、カントリー歌手のクリス・クリストファーソンによって作詞・作曲されました。1969年にレイ・スティーブンス版、1970年にジョニー・キャッシュ版が発売され、ジョニー・キャッシュのバージョンは、全米シングルチャートのカントリー部門で1位になっています。ジャニス・ジョプリンのヒット曲「Me and Bobby McGee」を書いたことでも知られるクリス・クリストファーソンは、ジョニー・キャッシュが持っていたヘリコプターの操縦者として彼と知合い、デモテープを渡したことが、シンガーソングライターとしてブレイクする切っ掛けとなったそうです。

英語版Wikipediaの Sunday Mornin' Comin' Down によると、テネシー州ナッシュビルのライマン公会堂で収録されたThe Johnny Cash Showで、ジョニー・キャッシュはこの曲を初披露しました。広場をうろつく無職の路上生活者の映像を背景に、彼はこんなモノローグとともに曲を紹介しています。

“ご存じのように、浮浪者がみんな望んでそんな生き方をしてるわけじゃない。1930年代の大恐慌が、何千人もの農夫や街中の労働者を社会から葬り去った。俺の親父は、貨物列車に飛び乗って仕事を探し行く人たちの中の一人だった。親父は浮浪者じゃなかった。職を求めて渡り歩くホーボーだったが、浮浪者じゃなかった”

“俺は思うんだが……俺たちは皆、人生のどこかで『心の放浪者』だったことがあるんじゃないかとね。昔と同じように、今も路上にさまよい出ていく人間が大勢いる。職探しのためじゃなく、自己実現したいとか、自分の人生を理解したいとか、『生きる意味』を見つけたいという理由で。彼らはもう貨物列車に飛び乗ったりしない。そのかわりに、メイン州からメキシコへ向かうハイウェイで、車やトラックに親指を立ててヒッチハイクする”

“そして、そうやって放浪する者たちの多くは……俺も含めて、自分が心の平安なんて状態からほど遠いことに気づくんだ。ボロボロの秘密部屋にこもってた方がまだマシだと。ある孤独な日曜の朝なんかにはね。今時そんな状況はあらゆるところにあって、気持ちを沈ませるんだ”


腹の底からふつふつと湧き上がって、胸の内を黒く塗りつぶしていくような孤独感。この寂しさとうまく付き合えたら、生きていくことはもっと楽になるだろうに。そんな気持ちになることがあります。

過去を振り返って、取り返しのつかない過ち、二度と話せない人たちの顔、失ってしまったものを苦い後悔とともに思い出すとき。「おまえだけじゃないよ」と、昔なじみの友人のような顔で隣を並んで歩いてくれる、そんな曲です。


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A Boy Named Sue / Johnny Cash 訳詞・和訳

酒場に佇むガンマン
ジョニー・キャッシュ最大のヒット曲、A Boy Named Sue(スーという名前の少年)を和訳とともにご紹介します。


“俺の名前はスーだ、ごきげんよう! さあ、死にやがれ!”


A Boy Named Sue
ア・ボーイ・ネームド・スー


俺が3つのとき 親父は家を出ていって
おふくろと俺にはほとんど何も残さなかった
この古いギターと空っぽの酒瓶だけ
まあ 親父が雲隠れしたことを責める気はない
だが やつがやらかしたことの中で最低だったのは
出て行く前に 俺にスーなんて名前をつけやがったことだ

親父にとっては完全なジョークだったに違いねえ
この名前は大勢のやつらに大笑いされた
俺の人生は喧嘩につぐ喧嘩のようだった
女どもはクスクス笑い 俺は真っ赤になった
男どもはゲラゲラ笑い 俺はやつらの頭をぶっ飛ばした
いいか 人生は甘いもんじゃない スーなんて名前の少年にとってはな

俺は早く大人になり ずる賢くなった
こぶしは硬くなり 五感は研ぎ澄まされた
恥ずかしい名前がバレねえように 町から町へ放浪した
だが 俺はお月さんとお星さんに誓いを立てていた
安酒場やバーを捜し回って
この最低な名前をつけた男の息の根を止めてやると

ガトリンバーグで 7月の中ごろ
俺は町に着いたばかりで喉がカラカラ
ちょっと休んで一杯やっていこうと考えた
泥でぬかるんだ通りにある古い酒場で
カードゲームをやってるテーブルに あの男がいた
俺にスーって名前をつけやがった 汚ねえ貧相な犬野郎が

ああ 俺にはあの陰険野郎が愛しの父ちゃんだってわかったぜ
おふくろが持ってたボロボロの写真でな
あの頬の傷と目つきの悪さは間違いねえ
デカくて腰が曲がった白髪の老いぼれ
あいつを見た瞬間 俺はぞっとした
そして言った
「俺の名前はスーだ、ごきげんよう! さあ、死にやがれ!」

ああ、俺はそう言ってやったぜ

俺は親父の両目のど真ん中をぶん殴った
やつはぶっ倒れたが 驚いたことに
ナイフを手に素速く起き上がり 俺の片耳を切り落とした
それで俺は椅子を やつの歯に真っ向から叩きつけた
俺たちは壁を突きやぶって通りに転がり出て
蹴飛ばしあい 目つぶしをくらわせあい 泥と血とビールにまみれた

言っとくが もっとタフなやつらと戦ったこともあるぜ
でも正直いうと それがいつだったかは思い出せねえ
親父がラバみてえな蹴りを入れて ワニみたく噛みついてきた時
俺は笑い声と罵りの言葉を聞いた
親父は銃に手をかけようとしたが 俺が抜く方が早かった
やつは俺を見つめながらその場に立ちつくし 笑みを浮かべた

親父は言った
「息子よ この世ってのは厳しいもんだ
一人前の男として生きぬくなら タフでなきゃな
俺がずっとおまえの成長を助けてやれるわけでもねえ
だから俺はおまえにその名前をつけて おさらばしたんだ
おまえはタフになるしかなかった でなきゃ死んでただろう
おまえをそこまで強くしたのは その名前なんだぜ」

「おまえはたった今 どえらい喧嘩をやらかしたところだ
俺を憎んでるのはよくわかるぜ
おまえにはさっさと俺をぶち殺す権利がある
そうされたって文句は言えねえ
だがな その前におまえは俺に感謝しといた方がいいぜ
おまえの腹の中の苛立ちや 受けてきた侮辱のために死んでやる
なぜなら おれはおまえにスーと名づけたクソ野郎だからな」

ああ 俺に何ができたっていうんだ? いったい何ができたんだ?
俺は胸がいっぱいになって言葉を失い 銃を投げ捨てた
そして親父を父ちゃんと呼び 親父は俺を息子と呼んだ
俺とは違った物の見方を理解して 俺は親父と別れた
それから俺は時々 親父について思うことがあるんだ
何度考え直してみても やっぱり俺の言い分に軍配が上がる
もし俺に息子がいて そいつに名前をつけるとしたら……

ビルでもジョージでも何でもいいぜ!
スーでさえなけりゃな!
俺は今でもこの名前が大っ嫌いなんだ!



“My name is Sue! How do you do! Now you're gonna die!”という、ジョニー・キャッシュのシャウトが痛快きわまりないです。

Wikipediaによると、1969年7月にリリースされたA Boy Named Sueは、シェル・シルヴァスタインによって作詞・作曲されました。このナンバーは瞬く間にヒットチャートを駆け上がり、全米シングルチャートのカントリー部門の1位はもちろん、総合チャートでも2位を3週間にわたってキープしています。これはジョニー・キャッシュのキャリアの中で最大のヒットになりました。ちなみにこの時1位にいたのは、ローリング・ストーンズのHonky Tonk Womenです。


スーという名前の少年。
日本人の名前でいうと、すみちゃんとか、すずちゃんとか、男の子につけてしまった感じでしょうか。性別不詳なキラキラネームの跋扈する現代であっても、かなりキツそうです。

しかしスーさん、自分はずる賢く育ったとか豪語してますが、陰険オヤジの甘言に一瞬で丸め込まれてますやん。そいつ、その直前には銃に手をかけてて、あんたのこと殺る気マンマンでしたよ。強くなってほしいからとかいうエエ話も、絶対その場の思いつきだってば。絶体絶命の状況に追い詰められてから、ヘラヘラ笑って、「おまえはワシが育てた」なんて臆面もなく言い出すオヤジの面の皮の厚さ、息子の10倍ぐらいありそうですね。こりゃ一枚も二枚も上手だわ。

そんなオヤジの老獪さに感心しつつ、嘘くさいお涙ちょうだい話にあっという間にほだされる息子の内心の寂しさ、父ちゃん恋しさにホロリとします。その場では和解して別れても、どうしても納得がいかず、「俺は息子にスーなんて絶対つけない!」と地団駄踏むスーさん。でもまた会ったら、やっぱり同じように丸め込まれるんだろうなー。可愛いなー。

西部劇なんかのパターンでは、追い詰められた悪役が急に言い訳し始めたら、反撃のチャンスをうかがってるサインですが、そこは何だかんだいっても親子。ユーモアたっぷりのハッピーエンドになっていることも人気の理由なんでしょうね。


曲の形態としては、いわゆるトーキング・ブルース。ジョニー・キャッシュの十八番の、語りを主体とするギター漫談です。

作詞・作曲者のシェル・シルヴァスタインは、日本では絵本作家としてよく知られています。「おおきな木」「ぼくを探しに」などが有名ですが、Wikipediaによると、シンガーソングライターとしての顔も持つマルチクリエイターだったんですね。シルヴァスタインは、自分のシェルという名前の女性的な響きを友達にからかわれていたことから、この曲の着想を得たそうです。

さらに、なんとシルヴァスタインは、Father of A Boy Named Sue(スーという名前の少年の父親)という曲もつくっています。これがまた、A Boy Named Sueと同じ父子の話だとしたら、何が本当で何が嘘だかわからなくなるブッ飛んだ内容なんですよ。こちらもまた別の機会にご紹介したいと思います。

※2017/8/18追記
「Father of A Boy Named Sue / Shel Shilverstein」の訳詞と感想を掲載しました。
あまりに突拍子もない展開なので、ご興味のある方は心してご覧ください。


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Father of A Boy Named Sue / Shel Silverstein 訳詞・和訳

カウボーイハットの高齢白人男性
Father of A Boy Named Sue(スーという名前の少年の父親)。
ジョニー・キャッシュの大ヒット曲A Boy Named Sue(スーという名前の少年)の作者シェル・シルヴァスタインが、後に父親の視点から、こんな奇妙奇天烈な続編を作っていたことをご存じだったでしょうか。


“ちょっとパパ、アタシの髪がめちゃくちゃじゃないの!”


Father of A Boy Named Sue
ファザー・オブ・ア・ボーイ・ネームド・スー



“さて、僕は何年も前に「スーという名前の少年」というタイトルの曲を書いた。
それはそれで良かったんだ、ある点を除いてはね。それで、僕はそのことについて考え始めたんだ。僕が考えたのは、あれはフェアじゃなかったってこと。
僕はすべての出来事を、あの気の毒な少年の立場からしか見てなかったんだ。年を取るにつれて、そしてより父親らしくなるにつれて、僕は年老いた父親の立場から物事を見るようになっていった。それで僕は、あの父親にも公平にチャンスを与えることにしたんだ。
オーケー、それじゃ始めるよ”



そうさ、俺は息子が3つの時に家を出た
自由気ままな独身気分はマジで最高
たしかに いい父親としての振る舞いじゃあなかったよな
だがあのガキときたら 叫び続けに吐き続け
パンツに小便漏らし続けで うんざりしたぜ
それで腹いせに 息子にスーと名づけて家出したのさ
イエーイ!

ガトリンバーグで 7月の中ごろ
俺は飲んだくれて ようやく生きてる有り様だった
老いぼれて 状況は悪化の一途をたどってた
そのときドアからすさまじい金切り声とともに
見たこともねえほど不細工なオカマ野郎が入ってきた
やつは言った
「アタシの名前はスーよ! ごきげんよう!」

そして やつは俺をハンドバッグで引っぱたきやがった

さあ これはあいつのホラ話とは違う成り行きだ
やつは俺の顔を爪でひっかいて
俺の親指に噛みついて
おまけにハイヒールのかかとで蹴りつけてきた
そこで俺がやつの鼻っ柱を殴ったら めそめそ泣き始めた
そして俺の目めがけて香水を噴射しやがった
たしかに スーって名前の年をくった少年と戦うのは簡単じゃなかったぜ

俺は籐椅子でやつの頭を殴りつけた
やつはわめいた 「ちょっとパパ、アタシの髪がめちゃくちゃじゃないの!」
そして俺のへそを殴り返して へそのゴマを吹っ飛ばした
やつは口の中の血を吐き捨て 俺は歯を吐き捨てた
俺たちは壁を突きやぶって通りに転がり出て
蹴飛ばしあい 目つぶしをくらわせあい 泥と血とミントリキュールにまみれた

やつがガーターベルトから銃を引き抜いたとき
俺はまさに実の息子に撃ち殺されるところだった
あいつはフロイトの心理学について叫びながら残忍な笑みを浮かべてた
だから俺はとっさの思いつきを話して聞かせたのさ
息子にタフに育ってほしいという一心で おまえにスーと名づけたんだとね
あいつは信じたみたいだぜ 今じゃ一緒に住んでるんだからな

息子は料理も縫い物も部屋の掃除もしてくれる
俺の髪を切って 顔まで剃ってくれるぜ
シャツのアイロンかけは娘より上手いんじゃねえか
夜の方はどっちが上手いか知らねえが
おっと これ以上はお話しできねえな

ただ スーって名前の息子に満足してることはたしかだぜ
息子ってのは楽しいもんだが
俺はスーって名前の息子を持って大満足だ!



人でなし…… あんたは鬼や……
あのヒット曲の続編がほとんど知られてない理由がよーくわかりました。

A Boy Named SueFather of A Boy Named Sueの両曲を作詞・作曲した、シェル・シルヴァスタイン
Wikipediaによると、このスキンヘッドにひげ面のおっさんは、「野球選手になって女の子にもてたいと思っていたが、野球もダンスも苦手でそれゆえに絵、音楽、本の世界に入った」そうです。この曲を聴いた後では、まあそうだろうなとしか思えません。

実際にA Boy Named Sueは大ヒットしたし、彼の「おおきな木」「ぼくを探しに」といった絵本は日本でも広く知られていますよね。シルヴァスタインは、絵・音楽・本の世界には確かに才能がありました。でもこのスーの父親バージョンは、才能があふれこぼれて、とんでもない方向に爆発してしまってます。返せ!息子のスー編で味わったドキドキハラハラな痛快さと、しんみりほっこりした感動を返せ!

これは息子に歯を折られて叩きのめされたことを根に持ってるオヤジのホラ話だと信じたい。でないと息子が不憫すぎる。いや、裏でこんな話を吹聴されてるとしたら、ホラ話であっても不憫です。この根性ねじ曲がって腐りきったオヤジに比べて、息子のスーさんのなんと素直で純朴で可愛らしいことか。「なっ、可愛いだろ?」ってオヤジの声が聞こえてきそうで、ほんとイヤです。

しかしこのオヤジ編、やっぱり上手いなと思います。ここでのスーさんは、トランスジェンダーなのか女装癖があるだけなのかわかりませんが、めっちゃ強いのにめっちゃ女らしい。まず最初の攻撃がハンドバッグで引っぱたき。拳でいかずに物を使うあたりにリアリティがあります。パパに反撃されて泣きながら香水を噴射し、頭を殴られて気にするのはまず髪型。家事能力もそんじょそこらの娘以上のようで、女子力高すぎです。

2人がっぷり組んでバーの壁をぶっ壊し、通りに転がり出ていくあたりは息子編と同じフレーズがしばらく続くんですね。ところが息子編でbeer(ビール)だったところが、creame de menthe(クレーム・ド・マント)という、いかにも女性好みの綺麗なエメラルドグリーンのミントリキュールになってます。ゲイが、もとい芸が細かすぎる。

フロイトが云々のくだりは、エディプスコンプレックスの話でしょうか。男児の無意識の中に父親殺しの、女児の中には父親との近親相姦的願望があるという概念です。これが対決・和解を経ての、ラストの同居エピソードにつながっていくんでしょうかね。うーん、この辺は深いんだろうけど不快だわあ。

前出のWikipediaには、Sueという名前は、実在の弁護士スー・ヒックスからとられたと書かれています。スー・ヒックスは、進化論を教えた教師が逮捕されたスコープス裁判の検察側弁護士でした。彼は男性ですが、出産時に死亡した母親の名前をつけられたとのこと。それもなかなかしんどいエピソードですが、こちらのスーさんは裁判史上に名を残すほど出世されたわけで……「スーと名づけられると強くなる」説はやはり正しいのか?

とにかく、こんなものがあったのかという驚きがあったし、訳して面白かったけど、シルヴァスタイン氏の歌は一度聴けばもうお腹いっぱいです。これは知らなくても別に良かったかな。いや、むしろ知りたくなかった!これからジョニー・キャッシュのA Boy Named Sueを聴いて、口直しします。曲のイメージをぶっ壊されたとお怒りの方、申し訳ございません。酒でもかっくらって寝て、忘れてやってください。

前回更新の、ジョニー・キャッシュのA Boy Named Sueについては、こちらからどうぞ。


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Author:Carrot
ジョニー・キャッシュを愛する洋楽ファン。自己流の訳詩、好きな音楽の話、日常の出来事を気ままに綴ります。
★当ブログに掲載している訳詞は、個人的な楽しみのための引用であり、商用利用や配布を目的としたものではありません。また、歌詞の和訳には誤訳・誤字が存在する場合があります。営利目的の転載および複製はご遠慮ください。個人的な楽しみの範囲であれば、ご自由に利用くださって構いません。その際は当ブログへのリンク及び引用元の表記をお願いいたします★

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