I Never Picked Cotton / Johnny Cash 訳詞・和訳

綿畑に昇る朝日
Johnny Cashの1996年のアルバムUnchainedに収録された、I Never Picked Cotton(綿なんか摘まない)をご紹介します。


“田舎もんが俺のシャツをつかんで言った
「綿摘み袋の中に帰りやがれ」”



I Never Picked Cotton
アイ・ネバー・ピックト・コットン



俺は綿なんか摘んだことはねえ
でも おふくろは摘んでた
兄貴も摘んでた
姉貴も摘んでた
おやじは若くして死んだ
炭鉱で働いてたんだとよ


まだガキだったころ
綿摘み袋を引っぱるには小さすぎて
俺は泥遊びをしていた
ほかの家族は働いていた
背中をまっすぐ伸ばせなくなるまでな
それで俺は自分に誓った
ここから逃げられるほど大きくなったら
ただの一日たりともいやしねえ
こんなオクラホマのお天道さんの下になんて

俺は綿なんか摘んでなかった
でも おふくろは摘んでた
兄貴も摘んでた
姉貴も摘んでた
おやじは若くして死んだ
炭鉱で働いてたんだとよ


おまえは育ちが早いとみんなに言われた
それで 綿農場に捕まらないうちにと
10ドルと小型トラックを盗んで
俺は二度と戻らなかった
スピードカーとウイスキー
脚の長い女の子たちに大騒ぎ
金で何でも自分のものになった
俺は一丁の銃ですべてを手に入れた

俺は綿なんか摘んだことはねえ
おふくろは摘んでた
兄貴も摘んでた
姉貴も摘んでた
おやじは若くして死んだ
炭鉱で働いてたんだとよ


土曜の夜 メンフィスで
田舎もんが俺のシャツをつかんで言った
「綿摘み袋の中に帰りやがれ」
俺は奴の死体を泥の中に置き去りにした
明け方には看守どもがやってきて
すぐ外の絞首台に俺を連れていくだろう
それまでの間に
何も大成功をおさめたってわけじゃねえが
俺が誇りをもって振り返られることといったら

俺は綿だけは摘んだことがねえ
おふくろは摘んでた
兄貴も摘んでた
姉貴も摘んでた
おやじは若くして死んだ
炭鉱で働いてたんだとよ

俺は綿なんか摘んでねえ
おふくろは摘んでた
兄貴も摘んでた
姉貴も摘んでた
おやじは若くして死んだ
炭鉱で働いてたんだとよ



I Never Picked Cottonは、ボビー・ジョージとチャールズ・ウイリアムズによって作詞・作曲され、1970年にカントリー歌手のロイ・クラークのレコーディングによって有名になりました。ジョニー・キャッシュはこの曲を、1996年にリリースしたアルバム「Unchained」の中でカバーしています。

私はこの曲を、例によってネットラジオのジョニー・キャッシュ・チャンネルで初めて知りました。俺は綿なんか摘んでねえ、摘んでねえったら摘んでねえ、と呪文のように繰り返す部分だけが聞き取れて、何でそこまでこだわるのかと歌詞を調べて、なるほどと納得した次第です。


この主人公の生き様はとうてい擁護できるものではありません。でも、家族みなが幼いころから重労働を強制され、体を壊して死んでいく閉塞的な環境にあって、「こんなところで生きたくない」と脱出を決意した心情は察するに余りあります。その後の自己破壊的な振る舞いを見るに、家族を見捨てて逃げた時点で、彼の精神は半分死んでいたのかもしれません。

主人公は最終的に、redneck=首筋が赤く日焼けした低所得の白人労働者に、「綿入れ袋の中に帰れ」とののしられ、衝動的に殺人を犯して死刑囚となります。出自を馬鹿にされた瞬間の憤怒には、家族を捨てた自責の念や後ろめたさも含まれていたんじゃないでしょうか。それが無意識であったとしても。



1970年のロイ・クラーク版は、バンジョーやタンバリン、ブルースハープの音色が明るくのどかな彩りを添えていて、陰りがありません。ロイ・クラークの歌い方も歯切れがよく、どこかコミカルでさえあります。


ところが一方のジョニー・キャッシュ版は、何ともいえない不穏な切迫感に充ち満ちています。

平の途中で転調したかのように半音上げたり、サビでは細かく揺さぶるように変更されるコード進行に胸がざわつきます。また、曲が進むにつれて、少しずつテンポが速くなっていきます。追い立てられるようなリズムに、一瞬にして人生を駆け抜けた主人公の姿が重なるんですね。これらがジョニー・キャッシュの挑戦的な歌い方と相まって、オクラホマの太陽にじりじりと焼かれるような焦燥感を抱かせる、素晴らしいカバーだと思います。

サビのバックコーラスがどこかで聞いたことがある声だなと思ったら、ロックミュージシャンのトム・ペティでした。このアルバム「Unchaned」のバックバンドは、トム・ペティ&ハートブレイカーズだったんですね。「Unchaned」には、他にもレッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシストのフリーや、フリートウッド・マックのリンジー・バッキンガムとミック・フリートウッド等も参加しています。


アメリカ、オクラホマ州の綿花摘み取りの写真をWikipediaで見つけました。1890年代の撮影です。
オクラホマ州の綿花収穫の風景
1865年に南北戦争が終わった後も、解放された黒人奴隷と、土地を持たない白人農民たちは、白人地主の綿花プランテーションで働き続けました。農夫たちが肩にかけて地面に引きずっているのが、この曲でうたわれたcotton sack、綿摘み袋(綿花袋)です。キャンバス地でできていて、30kgほどの綿花を詰め込めるそうです。

Wikipediaによると、ジョニー・キャッシュの両親は、アーカンソー州で綿花栽培の小作農家として生計を立てていたようです。ジョニー・キャッシュも5歳ごろから、仲の良かった兄ジャックと一緒に、綿畑で農作業の手伝いをしていました。ジョニー自身は「綿を摘んだことがある」んですね。

ジョニーと3歳違いの兄は、牧師になりたいという希望を持っており、頭が良かったそうです。ところが15歳のとき、ジャックは紡績工場の裁断機に巻き込まれ、体を真っ二つにされかけるほどの重傷を負ってしまいます。彼はその1週間後に亡くなりました。このときジョニーは12歳でした。

兄を失って衝撃を受けたジョニー。彼をさらに深く傷つけたのは、父親の「悪魔は連れていく子を間違えた」という発言でした。これは、お前が死ねば良かったと言われたのと同じです。兄の死と父の冷酷な言葉はジョニーの心に濃い影を落としました。

ジョニー・キャッシュはその後、兄と一緒に聴いていたカントリーミュージックに傾倒していき、18歳で空軍入隊とともに家を出ます。奴隷的な労働を拒否し、アウトローに身を落として生き急いだ、I Never Picked Cottonの主人公。彼の姿は、ひとつボタンを掛け違えればそうなっていた、もう一人のジョニー・キャッシュなのかもしれません。


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Carrot

Author:Carrot
ジョニー・キャッシュを愛する洋楽ファン。自己流の訳詩、好きな音楽の話、日常の出来事を気ままに綴ります。
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