Far Side Banks Of Jordan / Johnny Cash 訳詞・和訳

ジョニー・キャッシュと妻ジューン・カーター・キャッシュ
ジョニー・キャッシュジューン・カーター・キャッシュのデュエット曲、Far Side Banks Of Jordan(ヨルダン川の向こう岸で)を和訳とともにご紹介します。


“それがあなたの心残りなら 先にゆくのは私でしょう”


Far Side Banks Of Jordan
ファー・サイド・バンクス・オブ・ジョーダン



(Johnny)
足元が日々おぼつかなくなってきて
俺はあの世への旅立ちについて考えつづけている
この老いぼれの人生には もう長らえたいと願うような魅力もない
俺の気がかりはただひとつ 残していく君のことだ

(June)
それがあなたの心残りなら 先にゆくのは私でしょう
なぜかわからないけれど そうなる気がするの
あなたが旅立つときが来ても 途方に暮れたりしないで
だって あなたが最初に見つけるのは私だから

(Johnny&June)
ヨルダン川の向こう岸で待っている
砂の上に絵を描きながら座っていよう
こちらへ来る姿を見つけたら 大きな声をあげて立ち上がろう
そして 浅瀬を走りぬけて手を取りあおう


(Johnny)
貧しい食事を得るために 働きづめの人生だった
俺たちの手は震え 目も悪くなった
(June)
私がこの岸辺でしばし身をやすめ ふと目を向ければ
あなたがやってきて 私たちは天国を見るのよ

(Johnny&June)
ヨルダン川の向こう岸で待っている
砂の上に絵を描きながら座っていよう
こちらへ来る姿を見つけたら 大きな声をあげて立ち上がろう
そして 浅瀬を走りぬけて手を取りあおう

ヨルダン川の向こう岸で待っている
砂の上に絵を描きながら座っていよう
こちらへ来る姿を見つけたら 大きな声をあげて立ち上がろう
そして 浅瀬を走りぬけて手を取りあおう



ジョニー・キャッシュの愛妻、ジューン・カーター・キャッシュ。
キャッシュ夫妻のデュエットとしては、JacksonDarlin' Companionなどが有名ですが、私はこのFar Side Banks Of Jordanが一番好きですね。テリー・スミスによって作詞・作曲され、1976年にレコーディングされたナンバーです。

毎度おなじみWikipediaのジューン・カーター・キャッシュの項によると、彼女はカントリーミュージックの草分け的存在であるカーターファミリーの一員でした。子どもの頃から、歌手、ダンサー、コメディエンヌとして大活躍していたジューン。カントリー歌手に憧れていたジョニー少年にとっては、ずっと憧れのアイドルだったようです。

ジョニーとジューンの出会いはラジオ番組収録の場で、20代半ばのことでした。当時はお互いにパートナーと子どもがいて、敬虔なクリスチャンだった2人。惹かれあいながらも葛藤を持ち続けるうちに、それぞれの家庭が破綻してしまいます。道徳的な責任や世間の目に苦しみ、ジョニーの求婚を拒み続けたジューンでしたが、1968年、ライブステージ上での伝説のプロポーズを承諾して結婚に至りました。この時ジョニー36歳、ジューンは39歳。それから2003年に亡くなるまで、2人は35年にわたって添い遂げました。


ここで正直に告白しますが、私、ジューンさんの歌声が苦手なんです。特にドスをきかせた発声は、耳にキーンとくるっていうか、心地いい響きじゃないんですね。こんなこと言うと、ジョニーさんにシメられそうなのであれなんですけど、デュエットじゃなかったらいいのになーと思う曲がいくつかあります。

だけど、このFar Side Banks Of Jordanは別格! 優しく爽やかな歌い方で、貫禄のある歌声も、歌詞の内容とあいまって頼もしく温かく聞こえます。この曲のサビは、sitting、pictures、shout、shallow 、reachingなど、サ行・タ行・パ行の音が効果的に使われていて、耳に心地いいですね。さらさら、ちゃぷちゃぷと、川岸の砂地や浅瀬の流れに足を踏み入れた感触が伝わってくるようです。思わず一緒に歌いたくなってしまう。

神々しい夕陽に照らされた川の両岸
キリスト教において、Far Side Banks Of Jordan=ヨルダン川の向こう岸は、神に約束された土地です。一般的な日本人に馴染みがある表現でいうと、三途の川の向こう岸でしょうか。「君をおいて死ぬことが心残りだ」と言われて、「そんなら私が先に行って待っててあげるから、あんたもすぐに来なさいよ」と答える、3歳年上の姉さん女房ジューン。

この歌のとおり、2003年5月15日にジューンは約束の地に向けて旅立ち、その4カ月後の9月12日、後を追うようにジョニーも亡くなりました。有言実行、どこまでも頼りになる奥さんです。私も愛する人にはかくありたい。

最後に、お暇な方は、Google翻訳にこの歌のタイトルを入れて日本語変換してみてください。
いや、bankって、そりゃそうだけど……と機械翻訳の限界を目の当たりにして脱力できます。


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Father of A Boy Named Sue / Shel Silverstein 訳詞・和訳

カウボーイハットの高齢白人男性
Father of A Boy Named Sue(スーという名前の少年の父親)。
ジョニー・キャッシュの大ヒット曲A Boy Named Sue(スーという名前の少年)の作者シェル・シルヴァスタインが、後に父親の視点から、こんな奇妙奇天烈な続編を作っていたことをご存じだったでしょうか。


“ちょっとパパ、アタシの髪がめちゃくちゃじゃないの!”


Father of A Boy Named Sue
ファザー・オブ・ア・ボーイ・ネームド・スー



“さて、僕は何年も前に「スーという名前の少年」というタイトルの曲を書いた。
それはそれで良かったんだ、ある点を除いてはね。それで、僕はそのことについて考え始めたんだ。僕が考えたのは、あれはフェアじゃなかったってこと。
僕はすべての出来事を、あの気の毒な少年の立場からしか見てなかったんだ。年を取るにつれて、そしてより父親らしくなるにつれて、僕は年老いた父親の立場から物事を見るようになっていった。それで僕は、あの父親にも公平にチャンスを与えることにしたんだ。
オーケー、それじゃ始めるよ”



そうさ、俺は息子が3つの時に家を出た
自由気ままな独身気分はマジで最高
たしかに いい父親としての振る舞いじゃあなかったよな
だがあのガキときたら 叫び続けに吐き続け
パンツに小便漏らし続けで うんざりしたぜ
それで腹いせに 息子にスーと名づけて家出したのさ
イエーイ!

ガトリンバーグで 7月の中ごろ
俺は飲んだくれて ようやく生きてる有り様だった
老いぼれて 状況は悪化の一途をたどってた
そのときドアからすさまじい金切り声とともに
見たこともねえほど不細工なオカマ野郎が入ってきた
やつは言った
「アタシの名前はスーよ! ごきげんよう!」

そして やつは俺をハンドバッグで引っぱたきやがった

さあ これはあいつのホラ話とは違う成り行きだ
やつは俺の顔を爪でひっかいて
俺の親指に噛みついて
おまけにハイヒールのかかとで蹴りつけてきた
そこで俺がやつの鼻っ柱を殴ったら めそめそ泣き始めた
そして俺の目めがけて香水を噴射しやがった
たしかに スーって名前の年をくった少年と戦うのは簡単じゃなかったぜ

俺は籐椅子でやつの頭を殴りつけた
やつはわめいた 「ちょっとパパ、アタシの髪がめちゃくちゃじゃないの!」
そして俺のへそを殴り返して へそのゴマを吹っ飛ばした
やつは口の中の血を吐き捨て 俺は歯を吐き捨てた
俺たちは壁を突きやぶって通りに転がり出て
蹴飛ばしあい 目つぶしをくらわせあい 泥と血とミントリキュールにまみれた

やつがガーターベルトから銃を引き抜いたとき
俺はまさに実の息子に撃ち殺されるところだった
あいつはフロイトの心理学について叫びながら残忍な笑みを浮かべてた
だから俺はとっさの思いつきを話して聞かせたのさ
息子にタフに育ってほしいという一心で おまえにスーと名づけたんだとね
あいつは信じたみたいだぜ 今じゃ一緒に住んでるんだからな

息子は料理も縫い物も部屋の掃除もしてくれる
俺の髪を切って 顔まで剃ってくれるぜ
シャツのアイロンかけは娘より上手いんじゃねえか
夜の方はどっちが上手いか知らねえが
おっと これ以上はお話しできねえな

ただ スーって名前の息子に満足してることはたしかだぜ
息子ってのは楽しいもんだが
俺はスーって名前の息子を持って大満足だ!



人でなし…… あんたは鬼や……
あのヒット曲の続編がほとんど知られてない理由がよーくわかりました。

A Boy Named SueFather of A Boy Named Sueの両曲を作詞・作曲した、シェル・シルヴァスタイン
Wikipediaによると、このスキンヘッドにひげ面のおっさんは、「野球選手になって女の子にもてたいと思っていたが、野球もダンスも苦手でそれゆえに絵、音楽、本の世界に入った」そうです。この曲を聴いた後では、まあそうだろうなとしか思えません。

実際にA Boy Named Sueは大ヒットしたし、彼の「おおきな木」「ぼくを探しに」といった絵本は日本でも広く知られていますよね。シルヴァスタインは、絵・音楽・本の世界には確かに才能がありました。でもこのスーの父親バージョンは、才能があふれこぼれて、とんでもない方向に爆発してしまってます。返せ!息子のスー編で味わったドキドキハラハラな痛快さと、しんみりほっこりした感動を返せ!

これは息子に歯を折られて叩きのめされたことを根に持ってるオヤジのホラ話だと信じたい。でないと息子が不憫すぎる。いや、裏でこんな話を吹聴されてるとしたら、ホラ話であっても不憫です。この根性ねじ曲がって腐りきったオヤジに比べて、息子のスーさんのなんと素直で純朴で可愛らしいことか。「なっ、可愛いだろ?」ってオヤジの声が聞こえてきそうで、ほんとイヤです。

しかしこのオヤジ編、やっぱり上手いなと思います。ここでのスーさんは、トランスジェンダーなのか女装癖があるだけなのかわかりませんが、めっちゃ強いのにめっちゃ女らしい。まず最初の攻撃がハンドバッグで引っぱたき。拳でいかずに物を使うあたりにリアリティがあります。パパに反撃されて泣きながら香水を噴射し、頭を殴られて気にするのはまず髪型。家事能力もそんじょそこらの娘以上のようで、女子力高すぎです。

2人がっぷり組んでバーの壁をぶっ壊し、通りに転がり出ていくあたりは息子編と同じフレーズがしばらく続くんですね。ところが息子編でbeer(ビール)だったところが、creame de menthe(クレーム・ド・マント)という、いかにも女性好みの綺麗なエメラルドグリーンのミントリキュールになってます。ゲイが、もとい芸が細かすぎる。

フロイトが云々のくだりは、エディプスコンプレックスの話でしょうか。男児の無意識の中に父親殺しの、女児の中には父親との近親相姦的願望があるという概念です。これが対決・和解を経ての、ラストの同居エピソードにつながっていくんでしょうかね。うーん、この辺は深いんだろうけど不快だわあ。

前出のWikipediaには、Sueという名前は、実在の弁護士スー・ヒックスからとられたと書かれています。スー・ヒックスは、進化論を教えた教師が逮捕されたスコープス裁判の検察側弁護士でした。彼は男性ですが、出産時に死亡した母親の名前をつけられたとのこと。それもなかなかしんどいエピソードですが、こちらのスーさんは裁判史上に名を残すほど出世されたわけで……「スーと名づけられると強くなる」説はやはり正しいのか?

とにかく、こんなものがあったのかという驚きがあったし、訳して面白かったけど、シルヴァスタイン氏の歌は一度聴けばもうお腹いっぱいです。これは知らなくても別に良かったかな。いや、むしろ知りたくなかった!これからジョニー・キャッシュのA Boy Named Sueを聴いて、口直しします。曲のイメージをぶっ壊されたとお怒りの方、申し訳ございません。酒でもかっくらって寝て、忘れてやってください。

前回更新の、ジョニー・キャッシュのA Boy Named Sueについては、こちらからどうぞ。


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A Boy Named Sue / Johnny Cash 訳詞・和訳

酒場に佇むガンマン
ジョニー・キャッシュ最大のヒット曲、A Boy Named Sue(スーという名前の少年)を和訳とともにご紹介します。


“俺の名前はスーだ、ごきげんよう! さあ、死にやがれ!”


A Boy Named Sue
ア・ボーイ・ネームド・スー


俺が3つのとき 親父は家を出ていって
おふくろと俺にはほとんど何も残さなかった
この古いギターと空っぽの酒瓶だけ
まあ 親父が雲隠れしたことを責める気はない
だが やつがやらかしたことの中で最低だったのは
出て行く前に 俺にスーなんて名前をつけやがったことだ

親父にとっては完全なジョークだったに違いねえ
この名前は大勢のやつらに大笑いされた
俺の人生は喧嘩につぐ喧嘩のようだった
女どもはクスクス笑い 俺は真っ赤になった
男どもはゲラゲラ笑い 俺はやつらの頭をぶっ飛ばした
いいか 人生は甘いもんじゃない スーなんて名前の少年にとってはな

俺は早く大人になり ずる賢くなった
こぶしは硬くなり 五感は研ぎ澄まされた
恥ずかしい名前がバレねえように 町から町へ放浪した
だが 俺はお月さんとお星さんに誓いを立てていた
安酒場やバーを捜し回って
この最低な名前をつけた男の息の根を止めてやると

ガトリンバーグで 7月の中ごろ
俺は町に着いたばかりで喉がカラカラ
ちょっと休んで一杯やっていこうと考えた
泥でぬかるんだ通りにある古い酒場で
カードゲームをやってるテーブルに あの男がいた
俺にスーって名前をつけやがった 汚ねえ貧相な犬野郎が

ああ 俺にはあの陰険野郎が愛しの父ちゃんだってわかったぜ
おふくろが持ってたボロボロの写真でな
あの頬の傷と目つきの悪さは間違いねえ
デカくて腰が曲がった白髪の老いぼれ
あいつを見た瞬間 俺はぞっとした
そして言った
「俺の名前はスーだ、ごきげんよう! さあ、死にやがれ!」

ああ、俺はそう言ってやったぜ

俺は親父の両目のど真ん中をぶん殴った
やつはぶっ倒れたが 驚いたことに
ナイフを手に素速く起き上がり 俺の片耳を切り落とした
それで俺は椅子を やつの歯に真っ向から叩きつけた
俺たちは壁を突きやぶって通りに転がり出て
蹴飛ばしあい 目つぶしをくらわせあい 泥と血とビールにまみれた

言っとくが もっとタフなやつらと戦ったこともあるぜ
でも正直いうと それがいつだったかは思い出せねえ
親父がラバみてえな蹴りを入れて ワニみたく噛みついてきた時
俺は笑い声と罵りの言葉を聞いた
親父は銃に手をかけようとしたが 俺が抜く方が早かった
やつは俺を見つめながらその場に立ちつくし 笑みを浮かべた

親父は言った
「息子よ この世ってのは厳しいもんだ
一人前の男として生きぬくなら タフでなきゃな
俺がずっとおまえの成長を助けてやれるわけでもねえ
だから俺はおまえにその名前をつけて おさらばしたんだ
おまえはタフになるしかなかった でなきゃ死んでただろう
おまえをそこまで強くしたのは その名前なんだぜ」

「おまえはたった今 どえらい喧嘩をやらかしたところだ
俺を憎んでるのはよくわかるぜ
おまえにはさっさと俺をぶち殺す権利がある
そうされたって文句は言えねえ
だがな その前におまえは俺に感謝しといた方がいいぜ
おまえの腹の中の苛立ちや 受けてきた侮辱のために死んでやる
なぜなら おれはおまえにスーと名づけたクソ野郎だからな」

ああ 俺に何ができたっていうんだ? いったい何ができたんだ?
俺は胸がいっぱいになって言葉を失い 銃を投げ捨てた
そして親父を父ちゃんと呼び 親父は俺を息子と呼んだ
俺とは違った物の見方を理解して 俺は親父と別れた
それから俺は時々 親父について思うことがあるんだ
何度考え直してみても やっぱり俺の言い分に軍配が上がる
もし俺に息子がいて そいつに名前をつけるとしたら……

ビルでもジョージでも何でもいいぜ!
スーでさえなけりゃな!
俺は今でもこの名前が大っ嫌いなんだ!



“My name is Sue! How do you do! Now you're gonna die!”という、ジョニー・キャッシュのシャウトが痛快きわまりないです。

Wikipediaによると、1969年7月にリリースされたA Boy Named Sueは、シェル・シルヴァスタインによって作詞・作曲されました。このナンバーは瞬く間にヒットチャートを駆け上がり、全米シングルチャートのカントリー部門の1位はもちろん、総合チャートでも2位を3週間にわたってキープしています。これはジョニー・キャッシュのキャリアの中で最大のヒットになりました。ちなみにこの時1位にいたのは、ローリング・ストーンズのHonky Tonk Womenです。


スーという名前の少年。
日本人の名前でいうと、すみちゃんとか、すずちゃんとか、男の子につけてしまった感じでしょうか。性別不詳なキラキラネームの跋扈する現代であっても、かなりキツそうです。

しかしスーさん、自分はずる賢く育ったとか豪語してますが、陰険オヤジの甘言に一瞬で丸め込まれてますやん。そいつ、その直前には銃に手をかけてて、あんたのこと殺る気マンマンでしたよ。強くなってほしいからとかいうエエ話も、絶対その場の思いつきだってば。絶体絶命の状況に追い詰められてから、ヘラヘラ笑って、「おまえはワシが育てた」なんて臆面もなく言い出すオヤジの面の皮の厚さ、息子の10倍ぐらいありそうですね。こりゃ一枚も二枚も上手だわ。

そんなオヤジの老獪さに感心しつつ、嘘くさいお涙ちょうだい話にあっという間にほだされる息子の内心の寂しさ、父ちゃん恋しさにホロリとします。その場では和解して別れても、どうしても納得がいかず、「俺は息子にスーなんて絶対つけない!」と地団駄踏むスーさん。でもまた会ったら、やっぱり同じように丸め込まれるんだろうなー。可愛いなー。

西部劇なんかのパターンでは、追い詰められた悪役が急に言い訳し始めたら、反撃のチャンスをうかがってるサインですが、そこは何だかんだいっても親子。ユーモアたっぷりのハッピーエンドになっていることも人気の理由なんでしょうね。


曲の形態としては、いわゆるトーキング・ブルース。ジョニー・キャッシュの十八番の、語りを主体とするギター漫談です。

作詞・作曲者のシェル・シルヴァスタインは、日本では絵本作家としてよく知られています。「おおきな木」「ぼくを探しに」などが有名ですが、Wikipediaによると、シンガーソングライターとしての顔も持つマルチクリエイターだったんですね。シルヴァスタインは、自分のシェルという名前の女性的な響きを友達にからかわれていたことから、この曲の着想を得たそうです。

さらに、なんとシルヴァスタインは、Father of A Boy Named Sue(スーという名前の少年の父親)という曲もつくっています。これがまた、A Boy Named Sueと同じ父子の話だとしたら、何が本当で何が嘘だかわからなくなるブッ飛んだ内容なんですよ。こちらもまた別の機会にご紹介したいと思います。

※2017/8/18追記
「Father of A Boy Named Sue / Shel Shilverstein」の訳詞と感想を掲載しました。
あまりに突拍子もない展開なので、ご興味のある方は心してご覧ください。


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England Lost (ft. Skepta)/Mick Jagger 訳詞・和訳

汚れたイギリス国旗とBrexit
ローリング・ストーンズのボーカル、ミック・ジャガーが先月末に新曲を発表しました。England Lost、Gotta Get A Gripの2曲で、ソロ名義での新曲リリースは実に10年ぶりです。

政情変化による不安をテーマにしているというこの2曲。特にEngland Lostは、「イングランドは負けた」という衝撃的なタイトルと、グライムMCのSkeptaとのコラボで話題をさらっています。


“移民の話なんかもううんざりだ”
“スーツ姿の男たちがすべての栄光を奪う”



England Lost (featuring Skepta)
イングランド・ロスト フィーチャリング・スケプタ


(Mick)
負けだ 負けだ 負けだ 負けだ

俺はイングランド戦を見に行った でも負けちまった
誰もが言ってた 俺たちみんなカモにされたと
俺はイングランド戦を見に行った でも負けちまった
負けだ 負けだ
雨の中に立たされて面白くなかった
俺たちは皆 大声で叫び 文句を言った
大した試合じゃなかったぜ
俺はずぶ濡れになっちまった
とにかく 来たくなんかなかったのに

俺はイングランドを見に行った でも負けちまった
裏に回ってみたけど 「出ていけ」なんて言われたぜ
俺はイングランドを見に行った でも負けちまった
俺はイングランドを見に行った でも
俺は見に行った
俺は行った
俺は

これじゃ話が違うぜ 失点だ
家に帰って ジョイントでも吸おうか
とにかく 行きたくなんかなかったんだ
俺はイングランドを探しに行った でもなくなってた
椅子の裏にでも落っことしたんだろう
俺の想像力はなくなりつつあるんだろう
移民の話なんかもううんざりだ
入ることもできない 出ることもできない
実のところ それが全てなんだろうな

俺はイングランドを探しに行った でも
俺はイングランドを探しに行った でも
俺はイングランドを探しに行った でもなくなってた

負けだ 負けだ 負けだ 負けだ

俺はリスボンにもローマにも女がいた
これからは国内に引っ込んでないとな
シャッターに鍵をかけろ ドアを封鎖しろ
ロンドンがシンガポールみたいになってくぜ
あんなにホットじゃないけどな
やつらは姿を現さない 文句を言ってた評論家ども
本物の情熱もない 国民の恥さらし
幼稚すぎるのに 年を食いすぎてる
褒めたりけなしたり 意見をコロコロ変えやがる
俺はそう思うね

(Skepta)
真実の 布教だ
これはデジャヴ そっくり丸ごと前に見た
シーズンは違っても スコアはおんなじ
皆がおまえを晒し首にしたがってる
前の日には おまえを褒めたたえてたのに
新メンバーの加入は禁止
すでに人員過剰
いまだに続く住み処をめぐる争い
だから俺はそれをつまみ上げ 下に置いて 元の場所へ捨てた
俺はマコーレー・カルキンみたい ホーム・アローンだ
窓のところまで来て石を投げてくれ
だって俺は電話なんかで話したくない
同じ問題が拡大する危険地帯
何も変わらない 同じ筋書き
同じ汚れた沁み 汚れた服の上
路上の人々がすべての仕事を引き受ける
そして スーツ姿の男たちがすべての栄光を奪う

(Mick)
イングランドを探しに行った
イングランドを探しに行った
イングランドを探しに行った
イングランドを探しに行った でもなくなってたんだ



新曲England Lostは、「EUからの離脱を嘆く」、「離脱風刺」、「離脱をやゆ」等々、さまざまな表現でメディアに紹介されました。

こういった見出しだけを眺めると、ミック・ジャガーはEU離脱反対派なんだと思われるかもしれません。実際の歌詞も、今回のイギリスのEU離脱、いわゆるBrexit(ブレグジット)を、サッカーイングランド代表の敗戦になぞらえた内容になっています。

ところがミック・ジャガーは、EU残留・離脱をめぐる国民投票前に、離脱のメリットについてコメントしていた著名人のうちの一人でした。

YouTubeのSky News(6分35秒あたり~)によると、彼は今年4月の時点でEU離脱について意見を求められ、こんなふうに答えています。

“自分自身への影響に限って言うと、EU離脱によって大きな変化があるとは思わないね。イギリスという国にとっては、短期的には不利益をこうむるだろう。長期的には、20年ぐらいのタームで見れば、結果的に利益になったってことがわかるんじゃないかな”

こういうコメントを見ると、ミックはやっぱり計算高いというか、機を見るに敏というか、知的な人だなあと感じます。そして彼は何よりも、エリザベス女王からナイトの爵位を受けた誇り高い英国人です。イングランドの敗戦に失望し、将来への不安にさいなまれる歌詞の内容は、あくまでも現状の混乱を客観的にえがいたものじゃないでしょうか。

いきすぎた経済至上主義と、各国の文化に対する配慮のないグローバリズムが生み出した「拡大する危険地帯」。そこからいち早く抜け出すべく舵を切ったイギリスの未来を、ミック・ジャガーは冷静に見据えているようです。

グライムとヒップホップの違いがよくわからないCarrotですが、このソリッドな音作りにおいては融合しているようだし、コラボとして成功しているんじゃないでしょうか。よくわからんけど。


通常バージョンのMVはこちら。モノクロ映画仕立ての凝ったつくりです。


こちらのMVに主演しているルーク・エヴァンスは、「ホビット」シリーズや「美女と野獣」への出演で有名な俳優です。ゲイであることをカミングアウトしていることでも知られています。

楽曲自体は、あれ?Voodoo Loungeかなんかにこんな曲なかったっけ?と、それこそデジャヴを感じさせるミック節。ブルースハープの入り方とかもう、はいはい、ミックミック。

なので、Skeptaのいない通常バージョンは、気の抜けたコーラ的な物足りなさを感じます。ついでに言うと、ビル・ワイマン脱退以降のストーンズは、ダシの入ってない味噌汁的な……もうこの辺でやめときます。


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Sunday Mornin' Comin' Down / Johnny Cash 訳詞・和訳

色あせた都会の歩道
訳詞・和訳シリーズ第3弾、ジョニー・キャッシュSunday Mornin' Comin' Down です。


“日曜の中にある何かが 人を孤独にさせるんだ”


Sunday Mornin' Comin' Down
サンデー・モーニング・カミング・ダウン


目が覚めたら日曜の朝だった
どんな姿勢をとっても頭が痛む
朝食がわりに飲んだビールは悪くなかった
だからデザートにもう一本飲んだ
それからタンスを引っかき回して
汚れたシャツの中で一番ましなのを見つけた
顔を洗い 髪をとかして
よろめきながら階段を降りる一日の始まり

ゆうべ俺の頭の中は
タバコの煙とお気に入りの歌でいっぱいだった
きょう一本目に火をつけたら 子どもが目に入った
缶けりをして遊んでいる
通りを歩いて横切ろうとしたとき
日曜の匂いが漂ってきた 誰かがチキンを揚げている
神様 その香りが思い出させるんだ 俺が失った何かを
今までのどこかで どういうわけか なくしてしまったものを

(Chorus)
日曜の朝の歩道にいると
神様 俺はマリファナでもやっていれば良かったと思う
日曜の中にある何かが 人を孤独にさせるんだ
今まさに死んでいくような気分
死ぬときだって寂しさは半分ぐらいだろう
眠たげな街の歩道から聞こえる物音に比べたら
そして 日曜の朝に沈んでいく


公園でひとりの父親を見かけた
彼がブランコを押してやって 小さな女の子が笑っていた
教会の日曜学校のそばで足を止めて
彼らのうたう賛美歌を聞いた
それから俺は通りを歩いていった
どこか遠くで 寂しげな音色の鐘が鳴っている
それはビルの谷間に響き渡る
まるで薄れゆく昨日の夢のように

(Chorus)
日曜の朝の歩道にいると
神様 俺はマリファナでもやっていれば良かったと思う
日曜の中にある何かが 人を孤独にさせるんだ
今まさに死んでいくような気分
死ぬときだって寂しさは半分ぐらいだろう
眠たげな街の歩道から聞こえる物音に比べたら
そして 日曜の朝に沈んでいく



私がこの曲を初めて聴いたのは、子どもの頃、刑事コロンボシリーズの「白鳥の歌」の中でした。ジョニー・キャッシュがカントリー歌手の殺人犯を演じた、このテレビ映画については、また別記事でご紹介したいと思います。

Sunday Mornin' Comin' Downは、カントリー歌手のクリス・クリストファーソンによって作詞・作曲されました。1969年にレイ・スティーブンス版、1970年にジョニー・キャッシュ版が発売され、ジョニー・キャッシュのバージョンは、全米シングルチャートのカントリー部門で1位になっています。ジャニス・ジョプリンのヒット曲「Me and Bobby McGee」を書いたことでも知られるクリス・クリストファーソンは、ジョニー・キャッシュが持っていたヘリコプターの操縦者として彼と知合い、デモテープを渡したことが、シンガーソングライターとしてブレイクする切っ掛けとなったそうです。

英語版Wikipediaの Sunday Mornin' Comin' Down によると、テネシー州ナッシュビルのライマン公会堂で収録されたThe Johnny Cash Showで、ジョニー・キャッシュはこの曲を初披露しました。広場をうろつく無職の路上生活者の映像を背景に、彼はこんなモノローグとともに曲を紹介しています。

“ご存じのように、浮浪者がみんな望んでそんな生き方をしてるわけじゃない。1930年代の大恐慌が、何千人もの農夫や街中の労働者を社会から葬り去った。俺の親父は、貨物列車に飛び乗って仕事を探し行く人たちの中の一人だった。親父は浮浪者じゃなかった。職を求めて渡り歩くホーボーだったが、浮浪者じゃなかった”

“俺は思うんだが……俺たちは皆、人生のどこかで『心の放浪者』だったことがあるんじゃないかとね。昔と同じように、今も路上にさまよい出ていく人間が大勢いる。職探しのためじゃなく、自己実現したいとか、自分の人生を理解したいとか、『生きる意味』を見つけたいという理由で。彼らはもう貨物列車に飛び乗ったりしない。そのかわりに、メイン州からメキシコへ向かうハイウェイで、車やトラックに親指を立ててヒッチハイクする”

“そして、そうやって放浪する者たちの多くは……俺も含めて、自分が心の平安なんて状態からほど遠いことに気づくんだ。ボロボロの秘密部屋にこもってた方がまだマシだと。ある孤独な日曜の朝なんかにはね。今時そんな状況はあらゆるところにあって、気持ちを沈ませるんだ”


腹の底からふつふつと湧き上がって、胸の内を黒く塗りつぶしていくような孤独感。この寂しさとうまく付き合えたら、生きていくことはもっと楽になるだろうに。そんな気持ちになることがあります。

過去を振り返って、取り返しのつかない過ち、二度と話せない人たちの顔、失ってしまったものを苦い後悔とともに思い出すとき。「おまえだけじゃないよ」と、昔なじみの友人のような顔で隣を並んで歩いてくれる、そんな曲です。


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プロフィール

Carrot

Author:Carrot
ジョニー・キャッシュを愛する洋楽ファン。自己流の訳詩、好きな音楽の話、日常の出来事を気ままに綴ります。
★当ブログに掲載している訳詞は、個人的な楽しみのための引用であり、商用利用や配布を目的としたものではありません。また、歌詞の和訳には誤訳・誤字が存在する場合があります。営利目的の転載および複製はご遠慮ください。個人的な楽しみの範囲であれば、ご自由に利用くださって構いません。その際は当ブログへのリンク及び引用元の表記をお願いいたします★

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